映画『TENET』に惨敗しました

待ちに待ったクリストファー・ノーランの新作『TENET』が公開されている。

『Inception』『Memento』『Intersteller』などに代表されるようにノーラン監督は構成を非常に作り込んだ映画を創るのが特徴である。その他、バットマンシリーズも彼の作品であり、非常に高い評価の作品を作り続けているヒットメーカーである。

今回の『TENET』も、SFでよく扱われるテーマの1つである「時間」を軸に展開される「ザ・SF映画」ということはTrailerからもよく分かり、非常に期待が高まっていた。「絶対面白い!期待!」という気持ちで臨んだ鑑賞。

しかし、観終わっての感想はこれに尽きた。

「ごめんノーラン、全然分かんない!!!」

近年稀に見る難解映画だった。。。

『マルホランド・ドライブ』観た後みたいな感じ。途中から完全に置いてかれ、終わった後も「???」しかない状態。みんなはどうだったんだろう、と思ってFilmarksの皆さんのコメントも観てみると、どうやらみんなそんな感じだったようだ。

中には「意味全然分からなかったけど、すごい面白かった!!」という不思議なコメントも散見されて、レビュー欄が非常にカオスしていた。

そんな『TENET』について、感想と哲学っぽいのに絡めて書いてみる。

1回観ただけであり、ギミックとしては面白いのであるがテーマも受け取れなかったため解説を読む気も起きず、理解度20%の状態の人が書いている感想である、ということを予めお断りさせていただく。

※内容は一部ネタバレを含みます。

『TENET』の評価ポイント

これは、SF映画に求められる大きな役割をしっかりと果たしていた。つまり「IF世界の具現化」である。小説含め、SFの面白さの1つは「とあるIF(=もし)のアイデアによって構築された空想の世界からもたらされる知的な刺戟」であると私は考えている。

『Inception』であれば「もし人の夢に入れたら?」だし、『高い城の男』であれば「もし第二次大戦で枢軸国側が勝利していたら?」である。そういったIFを用いた世界を構築するのがSFの役割である。

『TENET』におけるコアのIFアイデアは「もし”時間の矢”を逆転できたら?」である。

一方向に進む時間を逆転させることが出来る世界を舞台に物語が展開する。そのため、人が巻き戻し的に動いているし、時間を遡ってタイムマシン的に過去に行くことが出来る。

私の中での『TENET』の評価点は「この時間の矢が逆転した世界を映像化・物語化」したことにあると思う。巻き戻し世界なんて小説じゃ表現し得ない、というかつまらない。人が巻き戻しに歩いているなんて文章で書いた所で何の衝撃も面白みもないだろう。これを映画の世界の中で実現し映像化したことによって、観る人の知的好奇心を刺激している。

なんで『TENET』は分かりにくいのか?

そんな評価点がありつつ、一方で難易度が高いことをやろうとしているので、ややこしくなってしまっているとも言えるだろう。映画としてわかりにくくなっている要素がいくつかある。というか意図的にわかりにくくしている、ということも充分に考えられるのであるが。

①物語上の「主題」と「目的」が分かりにくい

映画で物語が進行していく上で、非常な重要なポイントが2つある。

1つは「主題」の存在。例えば、Interstellerなら「親子の愛」だし、Inceptionなら「過去との対峙」「トラウマの克服」など。この主題は「映画で伝えたいこと」、つまりは作り手側のメッセージとも呼べる。

そしてもう1つがストーリー上の「目的」の存在。この目的によって具体的に物語が進行していく。Interstellerなら「地球から移住できる惑星の発見」だし、Inceptionなら「アイデアを植え付けてクライアントのライバル会社を潰すこと」である。

これらの軸が明確であるからこそ、鑑賞者は2時間の間、迷子になることがない。しかしTENETではこれが非常に分かりにくい。(というか今でも分かっていない)

デヴィッド・ワシントンとロバート・パティンソンの友情・・・?うーん、しっくりこない。そうならば、もっと中盤で友情描写とかあるはず。。。

未来も過去も自分で変えられるぜ!的なこと・・・?うーん、特にそんな話、出てこなかったよなあ。。。エリザベス・デビッキも最後感情に任せて殺してしまうのもなんか後味悪い。。。

ここが分からないので「なんで今戦ってるんだっけ?」「なんのために戦っているんだっけ?」「誰と誰がどういう対立をしているんだっけ?」が途中で分からなくなって、完全迷子。

②世界観設定の説明が少ない

「時間」という奥深いテーマを扱っている割に説明が非常に少ない。初めにハリポタのフラー・デラクールでお馴染みのクレマンス・ポエジーが説明してくれるのであるが

「エントロピーを減少させるので”時間の矢”が反転して過去に進める」

ということしか分からない。細かい発動条件や制約などが分からないので、「え、何でもありなん?!」みたいな印象になっている。

まあ、ここは仕方がないなと思っていて、詳しく説明すれば科学的な矛盾や反論の余地が大きくなってしまうので、情報を出さないことによって、想像で補ってもらうのがSFとしては正解であるなと。このテーマでリアリティとイマジナリーのバランスを取るためには、仕方が無いかもしれない。

時間を反転させる、あの回る基地みたいなのもよくわからんかったし、戦闘シーンも何が起きているのか全然わからないし、あれここで呼吸器つけなくていいんだっけ、みたいなのも途中からよく分からなくなった。

非常に余白(=鑑賞者の想像)に任せる所が多い映画である。

③映画という媒体の特性による制約

映画は、元々その成り立ちでは「現実を映像としてあるがままに切り取る」ということを志向していたが、一方で、切り取る以上は、切り取る主体による恣意性から逃れることが出来ない。次第に、その恣意性の方が作品において重要になり、クリエイターの表現の手段として普及していった。

この辺りは『映画とは何か』に詳しい。

映画はどう作ろうが、そこには必ず作り手の意志が反映されてしまう。そして、その意志は映画内では明言されることは基本的にはない。その視点によって、受け手に感じ取ってもらわなければいけない。

今回のTENETでは、時間というテーマを扱ったことにより「映されている映像が誰の視点であるか」という点で非常にややこしくなる。

TENETにおける「時間の矢」の反転には「人間の主観・認識」が関わっていることが分かる。なぜならば同じ空間に順再生と逆再生の両方の人間が同時に存在しているからである。ある人にとっては、順再生の世界に見えているし、ある人にとっては逆再生の世界に見えている。

こうなった際に「カメラは順・逆どちらの視点に立つのか?」が問題になる。この表現が非常に難しい。空間的には2人の人間を同時に映すことが出来ても、時間の方向性は順・逆のどちらかを選ぶしか無い。

そんな結果、戦闘シーンでは順再生と逆再生が入り混じらせるという「同じ空間に対して主観は順・逆切り替え」という撮り方を行っている。おかげで何が起きているのかがややこしい。

映画において、カメラの視点を「私は今こちらの主観で撮っています」ということは直接伝えることは出来ず、あくまで示すことしか出来ない。その結果、示された内容の解釈は全て受け手に委ねられているのだが、ルールの説明も少ないので、委ねられても正直受け止めきれだけの武器が無いのである。。。

「シュレーディンガーの猫」をコアに使った『ミスター・ノーバディ』では、鑑賞者を置いていかないようにジャレッド・レトが丁寧に解説してくれたのに・・・

④慣れ親しむ時間感覚と反するので直観的な理解が難しい

丁度最近自分の中でも時間観が崩壊してきていた所であったので、TENETの時間観にも柔軟に「なるほど」と理解できるところがあった。そういう意味では非常に面白かったのだが、やはり認知の仕方として慣れていないので直観的に何が起きているのかが理解しにくい。

カントは『純粋理性批判』で、人間の認識は必ず「時間・空間のフィルター」を通して行われると言う。私たちが認識しているものは対象そのもの(=物自体)ではなく、あくまでフィルターを経たあとの対象である、ということを理解しなければいけない。我々はこのフィルターを介さずに、直接的に物自体に行き着くことが出来ない。

空間は(x, y, z)のような座標的に捉えられ、人間は前後左右上下の好きな方向に進むことが出来る。一方で時間についてはそうではなく、我々が体感的に知っているように未来方向にのみ進み、過去方向には進まない。この時間の一方向性は、物理学の言葉で「時間の矢」と呼ばれる。

なぜ時間は一方向にしか進めないのか。これは専門家ではないので、大まかな理解であるが、熱力学第二法則によって示されている「断熱された系のエントロピーが減ることはない」ことが時間の不可逆性につながると説明されている。

TENETでは、その本来減らないはずのエントロピーを減少させることによって時間の矢を逆向きに出来る、という説明が序盤でなされている。一方で空間についてはそのままであり、そのため時間だけが巻き戻っている人が同じように空間内に存在している。

しかし、反転するのは世界全体ではなく、特定の処置を施した一部の人間・対象になるので、働きかけている対象は人間の認識側に行っているということになる・・?

地球は物理的には1つであるが、実は我々の世界は「重なり」で出来ている。70億人いれば、70億人がそれぞれ認識する世界を生きており、物理的な舞台は共有しているものの1つとして同じ世界は存在していない。「存在するとは知覚されることである」というように、認識なくして世界の存在はあり得ず、主観の不在で物自体を知ることも出来ず、全ては個々の主観によって見え方が歪んでいる。

それぞれの主観が世界を認識する際に、時間と空間のフィルターがかかるとすれば、エントロピーの減少は物理法則に対する働きかけであって、人間の認識に対する働きかけではないので、おそらく認識時にかかる時間フィルター部分が逆転させているということになる。

しかし、同じ空間を順再生と逆再生のフィルターをもった人間が共存しているということは、何らかの個々人の認識への働きかけ、もしくはエントロピーの減少範囲の制限をかけなければ実現が出来ないはずである。(もし制限をかけなければ全ての人間が時間方向の逆転を認識しなければならないだろう)

時間に空間的範囲が存在するのか?というのは、もはや「時間とは何か?」という問いそのものといって良いだろう。アインシュタインによる特殊相対性理論では「時間は観測者ごとに存在する」という結論であり、これが正しければ時間は主観的であることになる。そうなるとエントロピーの減少は我々の主観に対して影響を及ぼす、ということになる・・・・?

ああ、ややこしい!!!

SFである以上、ここに厳密性を求めても仕方がないということは理解している。ただ物理学的な考証は充分に行われているだろうとして、哲学的な考証がどの程度行われているのか、というのは少し怪しい。

とにかく、普段から時間と空間のフィルターの存在を意識することは殆ど無いし、時間だけが逆再生され、それが順再生と空間的に共存している世界も、一方向に流れる世界に慣れ親しんできた我々としては理解が難しい。

色々考えさせるという意味で面白い『TENET』

「時間」というコアアイデアとしては、めっちゃ考えさせられたという意味で、めっちゃハマっているのかもしれない。ただ、個人的には理解できない映画に高い評価をするのは抵抗がある。分かる人に分かれば良い、というセグメンテーションをはっきりさせたロックな作品である、という所は良いのだけれど、ハリウッド映画においては受け手に対して親切設計する努力義務はあると思っているので。

テーマもよく分からないという意味では、映画としての評価は自分の中では高くないけれど、SF映画としてかなり野心的な挑戦をしている作品としては非常に好感が持てる。

ぜひ皆様にも鑑賞後に「???」が浮かぶ覚悟で観ていただきたい。