自己否定と今日も戦い続ける我々の終戦はきっと近い

「自己否定」とは、読んで字の如く、自分で自分のことを認められずに否定をすることです。すみません、タイトルは言いたいだけです。

私も反芻思考タイプで自己否定の傾向が強く、こういうのって割と自分だけなのかもしれないと思っていましたが、世の中同様の人が少なからずいることも分かり、皆様それぞれに自分との付き合いに苦労されている、ということを知るようになりました。

「自己否定」と如何に付き合うか?というのは、個人の幸福に関わる大きな論点であり、正しい付き合い方を模索する必要があると考えています。

「自己否定 解消」でググると、トップに以下のような記事が出てきます。

  • 自己否定は今すぐやめなさい!自分が嫌いな人がやるべき7の改善法
  • 【自己否定の克服法】自己否定感が強い人のためのカウンセリングとは?
  • 自己否定がやめられない人、4つの特徴
  • 自己否定がやめられない人の5つの特徴と克服方法を紹介

記事の中に、自己否定の克服方法に「集団コミュニティに積極的に参加する」「他人と自分を比べないようにする」とかありましたが「うーん、それで根本解決しますかねえ・・・」「比べたくなくても比べてしまうから困っているのでは。。。」っていうモヤモヤ感が否めない。

こういうハウツーは、それはそれとして価値があると思っているのですが、結論に走り過ぎと言うか、文脈抜け落ちすぎて誤る可能性があるというか、なんかもっと「なぜ自己否定をしてしまうのか」に関して、各個人の文脈に落とすことと、構造化して自己否定と付き合う方法の大方針レベルを知る必要がありそうだなと。

「そういう時はまず分解しろ」とジェイク・ギレンホールが教えてくれた。彼の意思を継ぎ、ひとまず自己否定を分解しましょう。

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自己否定は「呪い」そして「悪魔の契約」

※毎度の如く、体感的な理解です。医学的、心理学的な要因などは理解していない素人の解釈ということを、あらかじめご理解下さい。

「呪い」と書いていますが、自己否定が常態化した状態とは、もはや呪いと言って良いほどに、何をしていてもどんな時でも自分にふりかかってきます。

「呪い」という言葉に込めているのは「①時に自分に力をもたらすものであり」「②一方で代償を伴い忌避した方が良い類のものである」という認識です。一時的に莫大な力を得るが犠牲を伴う「悪魔との契約」とも言えるかもしれません。

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なので、世間一般ではネガティブ一色ですが、ポジティブな面も持っている、というのが自分の認識です。2011年の記事ですが、Wiredで反芻思考のメリットに関しての研究結果について書かれていたりもしました。

憂鬱と「深い思考」の関係:研究結果

自己否定の呪いに至るまでのプロセス

そんな呪いにかかるまでには「原体験」⇒「否定」⇒「想像」⇒「呪詛完了」の4つのプロセスがあると考えています。

1. 原体験

原体験とは、自分の考え方や物事の感じ方に大きな影響を与える幼少期の出来事です。ここの原体験は自分自身も深く覚えていないのですが、子供ながらに他者から責められるとか怒られて嫌な気持ちになるとか、怖い経験があったのだと思われます。

そこで「他人に自分のことを言われるのは怖い」という価値観が形成されたと考えています。幼少期に原体験を通じて一旦こういう関数(刺激に対してどのような反応をするか)が生成される。つまりインプット「他人に自分のことを(ネガティブに)言われる」に対して、アウトプット「怖いという感情」が生じるという関数です。

2. 否定(≒批判)

次に原体験を持ち、価値観が形成された上で、社会生活の上で否定を経験していきます。たとえば学校で「自分の書いた絵を友達にバカにされる」とか「自分の容姿をいじられる」とか。こういうのを笑って「愛のあるイジリ」として楽しくできてしまう人もいるし(その笑顔の裏側は誰にも分からないのであるが)、一方でやはり傷つく人もいます。

こういった否定を受ける経験を重ねることで「否定/批判は避けたい」という思考が徐々に深く形成されていきます。否定と批判は別物ですが、これは結局受け取る側によって同一化もされているということで、受け手が否定と受け取れば否定として扱い、批判と特に区別はしません。。

このプロセスに照らし合わせると、1の原体験があること、そして全くの別軸で言うと自分の幸福/不幸以上に重要な目的を保有していること、が否定/批判の受け取り方に影響しているのだと思われます。

3. 想像

否定を受けて怖い思いをし、それを避け続けるようになると、徐々に「否定を受けないようにどうするか」という行動原理が作られます。実際に批判されている訳ではないのに「〇〇したら△△という否定/批判をされる」という風に考えるようになります。

そのように自分の中で他者の批判を代弁できるようになっていく。「自分に依る代弁の批判を避けるように行動すれば、自分は批判されずに済む」ということです。

4. 呪詛完了(Noroification)

言葉だけでもFunnyに“Noroification(ノロイフィケーション)”という命名をしておきます(爆)

最後のプロセス。「3.想像」を続けていると、何をしようとしても「否定/批判」が自分の中で聞こえてくるようになります。「今日映画を見た時間は何も生産していないのではないか」「この場面の固有性を考えると、〇〇すべきではないか」「結局〇〇するのって、自分の自己満足なのではないか」「今日自分が過ごした一日は無価値だったのではないか」などなど・・・・。

ここまで来るともう完全にコントロール不可能で。何をしても死神のように、自分の後ろをついてまわります。何を考えてもそれに対する反証が思いついてしまい、何をするにも悩む、迷いが生じる。自分が本当にやりたいと思うことに対しても「自分は本当にやりたいのだろうか」「これまでやっていないのが、本当はやりたくない証拠じゃないか」など、自分の本心さえ見えなくなってしまいます。

ここまで来たら呪詛完了。自分の思考が自分の意思に従わなくなるでしょう。

  • 誰にも批判されていないのに自分で自分を批判/否定し続ける
  • 何をやっても間違っている気がする
  • 自分を信じられず自己肯定感もどんどんと下がる

こうして、心の逃げ場も失い、気持ちが追い込まれていく。どこまで言っても批判しているのは「自分」なので逃げられない。自分からは誰も逃げることは出来ません。

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自己否定への”つながった社会”からの影響

自己否定モードになっている人にとって、SNS社会は相性が悪いです。SNSを開けば、いろんな人がいろんなことを批判している。色々な人がキラキラとした前向きな情報を発信しています。たとえ、それが自分に向けられていないとしても、揺さぶりをかけられてしまう。また「他の人はこんなに頑張っているのに自分はなんだ・・・」と自分を認められなくなっていく。

いうなれば、そういった状態でのSNSとは「自分に憑いた悪魔を成長させるエサ」とでも言えるでしょう。より自己否定/批判の材料を増やし、悪魔が自分に取り付き続けさせてしまう。この辺りの対応方法はまた後ほど述べます。

メタ自己否定ループで深みに嵌る

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言ったハズだ・・・お前の運命はオレが握っていると
ヤツはこの輪廻(ループ)から逃れることはできない

運命を決める術・・・
これがイザナミだ

人間の思考、そして論理の怖い所で、自己否定はエンドレスで出来てしまい、自分に全くの逃げ場をくれないということ。自分を否定している自分を批判する自分を否定する自分を・・・以下略。

否定してもしなくても否定してしまう。それってつまり何をしても逃げようがないということ。これがイザナミだ!否定することを辞めようとしても、それ自体を否定してしまうから抜け出しようがありません。

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私が自分の否定を止めて妥協しようとしている自分を批判しない訳がないじゃないですか♪

さあ困った。となると、一時的な自己否定は我慢するとして、自己否定しようと駆動している部分をどうにかして、この悪魔を取り払わなければ、ループからは抜け出せない。

自己否定/批判の良いところ

「自己否定=悪いこと」という図式で語ってきてしまっているが、実際には100%全てが悪い部分だけではないと考えています。

1. 自分が正しくない可能性に立てる

自己否定に呪われている際には「自分は正しくない」と思うことが出来る。そして、実際に自分が正しくないというシチュエーションは大いにある。

己の力を過信すること無く、自分が間違っている可能性を認めるスタート地点に立つことが出来ることは重要です。もちろん何事も過度は禁物ですが、慎重に物事を進め、他者の話に耳を傾ける姿勢ができるように思います。

2. アウトプットを磨き続けられる

そして、自分が創るアウトプットについて、自分で「ここがダメ」「ここが悪い」と認識することが出来る。悪い点を自分で見つけられるから、改善点が分かる。こだわりの強さにも繋がる部分があるように思う。「これではこのように批判される」と分かるから直すことが出来る。もちろん、それが過度になることもあるので、バランスは必要であるが、重要な姿勢である。

自分を否定し続けることは、精神的な負荷が高いため、こういった良い点を必要に応じて使える程度のコントロールを持ちつつも、自分に対する肯定は取り戻すことが理想ではないでしょうか。

自己否定の呪いを取り除く方法

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では、どのように悪魔を払い、自己否定に呪われた状態からどのように元に戻るか考えてみます。打ち手は4つあります。

正攻法は、小さな自信になる経験や成功体験を積み上げていくことだと思いますが、それだとちょっと長期的というか、技としてはざっくりしてますので、もうちょっと旅の道中で使える技も幅出しします。

※あくまで、一旦まずは自己否定のループから逃れる、という意味でのアクションであることに注意されたし。ループから脱出してからも取るべきアクションであるかどうかは別問題であると考えています。

1.外部からの必要以上の情報インプットを減らす

わかりやすく言うと、SNSとか自分と比較しがちな情報を減らしましょう。自己否定/批判は自分で自分が認められないというよりも「自分が他者と比べて劣っている」というの形で出ることが多いと思っています。先述ですが、この手の女王は「悪魔のエサ」です。

〇〇さんはこんなに出来るのに、自分はなんで何もできないんだ…

ですので、そもそもの比較対象を無くしましょう。有名人と比べがちならば、メディア系も制限しましょう。全断ちは現実的では無いと思いますが、必要以上に情報を入れる必要も無いです。多分大抵の情報は無くても実害無いです。

情報自体を求めているというより「何かを逃すかもしれない」という機会損失が不安なだけで、実は目的なく眺めていることが多いんじゃないかと。(※あくまでまずはループから抜けることを目的に置いていることは、再度書いておきます)

ちなみに『マトリックス』のキアヌ・リーブスもSNSやりません。公園でご飯を食べたり、地下鉄にも乗る庶民派です。哀愁漂う感じがGoodです。

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2.目的や目標を自己より外部化する

次に自分自身の内面、特に考え方を変化させるという方法があります。その中でも目的設定をどのように行うかは重要です。

具体的には「目的を外部化する」という方法があります。外部とは「自分の外」という意味で、自分が幸せになる、満足するみたいな、ToBe(こうなりたい)的な目的設定は、目的が自分自身の状態になっているので内部です。

外部の目的とは、例えば「コンクールで金賞を取る」とか「今月500万円売上を出す」など、客観的なものとして設定されるものです。ToBeに対して、これはToDo(こうしたい)的と言えます。

内部的な目標を設定すると、達成できなかった際に、自分の考え方や個性を否定的に見るようになってしまいやすいです。

自分がこうなれないのは、自分のこういう性格がダメなんだ・・・

のように目的が達成できない問題も自分の中に設定されてしまいがちです。問題がある自己は格好の責める対象なので自己否定につながります。

しかし、外部的な目標になると、問題の所在を「自分自身」ではなく「具体的な行動」や「客観的な問題」に持っていきやすい。つまり、

試合で負けたのは、〇〇と△△が出来ていなかったからだ。□□という練習が足りなかった。(=□□の練習をすれば勝てた)

というような形です。目的が外にあれば問題も外に置ける。もちろん実際には砕けば自分の内面にも落とすことが出来るのですが、あくまで行動の問題として落ち着けやすくなります。

3.コントロール不可能な要素がある環境を創る

多くを自分がコントロール可能な環境にいると、それはそれでリスクがあります。自己否定的になり、自分自身を駆動しているモチベーション自体を失ってしまうと、そこから動いて抜け出すことができなくなります。

もし、そこにチームメイトを持ったり、何かしらの組織に所属していると、自分の意思に関係なく、人との関わり合いによって、動く理由が発生します。動いていれば、状況は変わりますので、また自己否定が続く現状を変えるきっかけになります。

イメージは、運転する車のタイヤの一個のコントロールは他の人に任せられるようにしておく感覚。自分が全部のコントロールを握っていると、運転手である自分がダメージを受けた時に、完全に車は停止してしまいます。

もしタイヤの1個を誰か他の人に任せておけば、自分がやられても、車はなんとか動き続ける。もし動き続けていれば、助けに出会えるかもしれないし、何か立ち直るきっかけがあるかもしれない。

自己否定が続く状況を乗り切るためには、そういった自分自身とは別の要因で自分を駆動できるようにしておく必要です。

4.手元の心を満たす

最後に、直近の幸福感を創る、ということです。不幸な状況を否定することは容易だが、もし現在が幸福な状況であれば「幸福であって何が悪い!」と自分自身に強い反論することが可能です。

幸福な状態から、ミッションも目的も大義もなく、わざわざ不幸になろうとする否定など聞く価値が無い、と誰でも感じるでしょう。

自分に対して肯定的な人の近くにいる

なので、まずは自分を否定せずに、肯定的に見てくれる人が近くにいることは重要です。家族でも友達でも誰でも良い。そういった存在があるだけで、自己否定を和らげることが出来ます。

自分を幸福にするためのアクションをしてみる

大体どんな人も「こういうことしている時間は気楽だし、楽しい」というのは分かっていると思います。そういうことをしてみれば良いです。一旦まずは自分の本心を満たしてみるのです。そりゃずっと食べて寝てを繰り返していたら「このままじゃまずい」と誰でも否定的に思うでしょうが、一時的にそれくらいのことをしても良いはずです。まずは「手元の幸福感を満たしてみる」が大切。

自己否定と戦いながら、思考が”アウト”したら戻る

自己否定を取り除くための思考は得てして、”アウト”を彷徨うと思います。明確な答えなど出るはずはないし、論理的に自分を否定しなくて済む結論にたどり着いて、それに自分が納得できる、というのことはほとんどないのではと思います。

“アウト”と幸福 | 現実からはみ出そうとしているあなたへ

思考における納得感は、論理だけでなく、自分の体験的な理解にもひも付きます。考えても無理なら、情報が足りない or 体験が足りない、のどちらかですが、情報インプットでは、納得感にはつながりにくいので、結局は体験の不足です。その状態で考えてもどうしようもなく、辛くなるだけになります。

自己否定の悪魔は、論理や思考でぶつかって勝てる相手ではないので、上記4つのようなアクションや、自己肯定感に関わる体験を積み上げて、長期戦で戦って祓いましょう。

自己否定とACT(Acceptance and commitment therapy)

もう一点頭出しだけ。現在ACTに関する本を読んでいますが、このアプローチがまた面白い。友達も非常に絶賛していました。

ACTの目的は、困難な気分を取り除くことではなく、むしろ私たちが自らの人生と共に今この瞬間に留まり、価値づけられた行動へと向けて前に進むことである。ACTでは、不快な気分に対して、オープンでいること、過剰反応せずにいること、そして、そういったものを引き出されるような状況も避けずにいることを学べるよう促す。

ー Wikipedia「アクセプタンス&コミットメント・セラピー」より

ACTの理論は、自己否定的な思考は自然なことで、それを消そうとするのではなく、その思考を許しながら「真剣に取り合わない」ことによって、付き合っていくことを提案します。現在はこちらの本を読んでます。

幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない: マインドフルネスから生まれた心理療法ACT入門

また、ここからの学びは書きたいと思います。