宝くじが当たる”確率”は2分の1である

日頃から「確率」は不思議なものだなと思う。

確率(かくりつ、英: probability)とは、偶然起こる現象の、現象全てに対する割合の事である。 起こりやすさを数値で表した指標として使われる。 確率の定義は、統計的確率、数学的確率・理論的確率・古典的確率(意味はどれも同じ)、公理的確率の3つがある。 どのような現象でも確率をもつとはいえない。

- Wikipedia「確率」

成功者の中には、確率の考え方を使いこなしてきたという人は結構多いのではないだろうか。存在する複数の選択肢について期待値を計算・評価し、最も高い期待値を持つ選択肢を選ぶ。頭の良い人はそうやって生きている部分が多いのではないかと思っている。

しかし、最近になって確率に対する感覚的な違和感を感じるようになった。

なんというか、

あれ、確率ってなんだっけ?

みたいな感覚だ。

現実世界の中では、確率は“仮想的”な概念であるように思える。数学は時に「松葉杖を使うために、人がわざわざ自分で足を折って松葉杖で歩こうとするようなもの」と評されたりする。つまりは自己目的化しているということで、本来人が生きるために用いる手段から乖離している、と批判されたりする。確率もその1つかなと最近思うようになった。

起こることは起こる

厳密な計算はもちろん不可能なのであるが、今成立している私たちの世界が発生している確率はどれくらいなのだろうか?

例えば、M8クラスの大きな地震が発生する確率は0.1〜1%と言われ、今後50年以内だと確率は10〜20%だと言われる。ふむふむなるほど。でも何か違和感はないだろうか?

確率1%とは100回施行すれば1回は起きること。総体としてそうなっていれば、その1回がどこで発生しようが確率は変わらない。

だから、可能性がゼロではない限り、今この瞬間に発生しても何も不思議は無いのである。発生しても「いや確率1%なのに!」と文句を言うことは出来ない。“起こるものは起こる”のであり、“起きたのであれば、それは起きた”のである。

だから、どんなに地球滅亡シナリオの発生がどんなに天文学的に低い確率だとしても、それが起きたとすればそれは仕方ないことである。確率が存在する限り、それがどこで発生するかは分からず、そして0ではない限り、どこかで必ず発生するのであるから。

今の現在が発生する確率?

我々は「確率が低い≒ほとんど起こらない」と考えてしまいがちだが、実際はそうではない。私たちが今生きている現在がカオスの中から一つ紡ぎ出されたのも天文学的に低い確率によるものなのである。それは確かに実現したのである。普通に奇跡である。

そうすると同じように天文学的に低い確率で発生するはずだった地球滅亡ケースも、同じだけ発生してもおかしくなかったのでは?

なぜなら「天文学的に低い確率であるはずだった現実が実際に実現した」のだから。現にこのように考えると「確率とは何か?」が段々と分からなくなってこないだろうか?

人生そのものの試行可能回数は1回なのである。人生における確率は意図的に切り取った分母の中での仕組まれた数字だと思う。日本人の平均寿命は85歳前後だが、明日死ぬときは死ぬ。もし明日死んだとしても「明日死ぬ確率は0.000001%だったのに!」なんて文句は言えない。

起きるときは起きる。そして、発生しなかった現実は存在しない。

宝くじが当たる確率?

宝くじで2億円が当たる確率は約1,000万分の1だという。これを高いと感じるか、低いと感じるか。

当たらないよなあ、と期待せずに(本当は期待はゼロでは無いから買っているのであるが)買うのが通常だと思うのだが、でも考えてみよう。1000万人が1つずつクジを買えば、誰かはたしかに2億円が当たっているのである。起きることは起こる。単純に「それが自分に起きたか否か?」という話である。

誰かに起きたのと同じだけ自分にも起きる確率はある。もし自分に当たったとしてもそれは1,000万分の1であり、もし外れたとしても、その1回が発生する確率は同様に1,000万分の1なのである。(ハズレという”結果”自体は沢山得られるのであるが)

確率の使い方

そんなのを踏まえた上で、確率をどのように使えばよいのか?これは以前も書いたことがあるが、完全に「受容」の問題だ。

シン・シソウ | 虚無感と無意味さを超えて

もしハズレたら「確率が低かったから」と思えば、ショックは小さくなる。幸運にも当たったら「いや実はちょっと当たると思ってたわ!」とでも思えば良い。

どうせ起こることが起こるだけだ。起きた結果に合わせて、その結果を受け入れるために「確率」という結果を上手く使ってやろう。

こう考えたっていいんじゃないだろうか。

宝くじを買えば「当たり」か「ハズレ」の2つの結果しかない。だから当たる確率は2分の1なんだ!!!!

こう考える人は頭が悪いのだろうか。私はそうは思わない。起こることは起こる。もしそれが起きた時、それは起きたのだ。それが数学的にどんなに発生する確率が低かったとしても、それは確かに起きたのだ。はっきりと自分の目の前にその”低かったはずの確率”が現れるのだ。

もし幸運にも当たった時、当たったことは当然のようにも感じられるかもしれない。きっとその時に発生確率の低さなんて考えない。それは”起きた”のであり、どうせ当たらなかった自分を知ることも永遠に無いのだ。

だから、2億円の宝くじが当たる”確率”は2分の1なのだ。私にとってはね。