文章と詩について

過去に読んだ本を思い出す時に、まず何が思い出されるか。きっとどの本を思い出すにも、センテンスや文字ではなく、イメージがまず出てくると思う。本を文字として記憶するのではなく、イメージとして記憶している。

このイメージは、本の内容についてのイメージであるのか、本を読んでいた状況についてのイメージであるのか。両方あるような気はしている。文字情報は直観を用いて引っ張ってこれるようにイメージへ変換されている。

本を読んでいる時に考え事をすると、全然内容が頭に入っていないのに、ページだけ進んでいることが結構ある。大体こうなるときって本の内容が面白くない場合なのだが、でも意外と内容というか、だいたいこんなこと書いていたかなあというイメージの部分は残っていたりする。一方で文字の部分の記憶は皆無。

これはおそらく、文章、単語、文字自体にイメージが結び付けられている、ということなのではないか。文章を読むときは、おそらく2つの目線を持って読んでいる。

①言語のルールに従って読む。これはつまり、文字の文法に沿って意味を理解するという、言語自体の普通の読み方。

②文章、単語、文字に結び付けられたイメージを直観で読む(というか受け取る)。例えば、日本語だったら漢字って読み方だけじゃなく、漢字そのものにも意味が込められている訳で。また、これまでの何十年もの刷り込みによって、その言葉が用いられる文脈のパターンを認識しており、再度その言葉に出会ったとにパターンからイメージを受け取っているのではないか。

そんなことを考えていると、哲学者が詩人大好きな理由がよく分かった。詩は文字通り読むものではなく、直観で読む(受け取る)ものなのだ。言葉から想起されるものを自由自在に使いこなし、組み合わせ、読み手に直観的な体験を作り出す。それが詩人のやっていることなのだ。つまり、文字を使って直観をコントロールしている。すごい。。。これを極めると読み手の感情を自由にコントロール出来るようになるのだろうか。

そんな中最近観た”Little Women(邦題:ストーリー・オブ・マイ・ライフ)”にて「シェイクスピアは詩を小説に持ち込んだ」みたいなセリフがあり(訳が正確かは微妙ですが)、ああなるほどなと。だから、シェイクスピアはすごいんですね。

Shakespeare was a poet. He smuggled his genius through his work

-Friedrich