HSP | 自分を説明する概念を如何に用いるべきか

HSP(Highly Sensitive Person)に関して、色々な方にお話を伺わせていただいていたのも、もう1年ほど前になります。

以降2019年を経て、HSPに関してメディアで様々に取り上げられるようになったと感じます。AbemaTVで特集が組まれたり、本の出版が盛んになったり。

HSPに関わる方40名ほどにお会いして色んなお話も聞いて、自分で勉強会も開いてみたりとして、ある程度深く関わったこともあり、このようにして概念やキーワードとは広がっていくのか、というのを感じる所でありました。

ちなみに過去5年間の「HSP」というキーワードにおけるGoogleトレンドが以下。2018年と比べても、2倍くらい検索されるようになっています。(2019年10月に一時的に物凄い上昇してますが、何があったんでしたっけ。。。)

HSPをほとんど意識しなくなった

HSPの定義に当てはめると自分は「HSP」に該当します。客観的事実は知りませんが自認してます。(この世に客観的事実など無い、とも言えることを現象学的還元という概念を通じて最近学びました)

自分がHSPという概念を知ったのが2019年冒頭で、ちょうどその時期に仕事が結構忙しかったということもあり、自分の苦労が結構HSPという概念で説明できるたので「面白い」と思っていました。

それから1年近くが経ち、自分を取り巻く状況も当時とかなり変化しました。具体的には、生活の自由度が上がりました。不必要な拘束がなくなり、自分で決められることが増えました。(自由は責任と表裏一体なのですが)

自分で決断できるようになり、それはそれでプレッシャーなのですが、良いプレッシャーというか、納得が出来るプレッシャーなのでポジティブでした。それと同時に、HSP的なことはあまり気にならなくなりました。

気質で言い逃れを続けられない

そんな状態になって、今2つのことを思います。

1つ目は「気質は不変だから長期的な拠り所にはならない」ということ。「HSPは病気ではなく気質」というフレーズを良く耳にしていました。自分の個性なんだよ、っていうことに救われた方も多くいらっしゃるのでは、と感じます。

裏を返せば、気質は自分から一生切り離せない(というか自分の一部である)ので「あとは自分でどうにか対策して上手く付き合って生きて下さい」とも言える。

一時の苦労を説明して安心できることは重要で、まずはその場を超える。でもその後に苦労をHSPで説明して安心し続けることは出来ない、というか。それが分かっているならば、自分でどうにかすべき、とも言えます。HSPにすがり続けるのは戦闘放棄、というか「行ったらケガする場所に居続けることを自分で選択している」ような状態にも思えます。長期的には自分で切り開かないといけません。

2つ目は「何かにすがるのは自分がネガティブな状態にあるから」ということ。自分が幸福で満たされているならば、そういった概念とかを気にすることもない。結局何か問題があるから、何かに救いを求めているのだなと。

自分のパーソナリティを持ち出すべきケースと持ち出さないべきケース

ここまでは前段で、こういった自分の苦労などを説明する個性(パーソナリティ)に関する概念が生まれる中でそれ自体は全く悪いことではないと思っている一方で、使い方を間違えると本人にとっても不幸になるんじゃないかな、って思うようになりました。

使ったほうが良いケースもあると思うし、使わない方が良いケースもあると思います。それらをここで整理したいと思います。

1. 個人の幸福における問題説明に用いるケース

私が不幸なのは〇〇だからだ!!!!

という用法が1つ目です。特定の個性を理由に自分が不幸になっている、と説明すること。私はこれは「良いんじゃないか」って思っています。

理由は、個人の幸福は結局主観であるので、自分が世界の認識を改められることが最も重要であるからです。どんなに物質的に豊かになっても、自分で自分を否定し続けていれば、幸福にはなれません。何かの個性にすがることで、自分に対する否定を止め、幸福になれるのであればするべきでしょう。個人の幸福に他人がとやかく言うことではありませんし。

私の場合も、自分の苦手なこと等で自己否定を続けていたことを、HSPという概念が説明をし、「ああ、なんかこのままでも良いのかも」と思うことができ、安心した部分が少なからずあります。これはこれで良かったのだと思います。

※注意するべき点

ただし、この用法には注意すべき点があります。それは概念を自分のアイデンティティレベルで同一化させてしまうのはリスキーという点です。

同一化した性質を失った自分を受容することが出来ず、ネガティブと強く結びついた概念と離れられるのにすがり続けてしまう、みたいなことが起きます。

苦労をせずに済む環境があるにも関わらず、「この個性で苦労をしているのが自分である」とまで行ってしまうと大変だなと。苦労が目的化するというか、求めているものを自分の手で手放してしまう。

人間がアイデンティティの崩壊を恐れるのは自然なので、よく理解できるのですが、この状態はまた丁寧に紐解く必要があると思います。

2. 結果における問題説明に用いるケース

私が△△できないのは、〇〇だからだ!!!

という用法が2つ目です。例えば「電話が苦手なのは自分がHSPだからだ」と考えるような場合です。これについては「説明をするのはひとまず良い。それでその後どうやって電話しようか?」と考えるべきと思ってます。ここでは結果とか、仕事において、として扱っていますが、別に勉強でも部活でも大丈夫です。ご自由に置き換えて下さい。

最終的に、自分が仕事が出来ないのは、〇〇のせいとまで持っていくと危険かなと思います。(これは仕事が出来たいと思っていることが前提ですが)

基本的に仕事には正しいやり方が決まっていて、結局はそれを上手くやれれば結果が出るのです。酷なことですが、仕事はやらなければ、どんなに自分が出来ない理由を美しく綺麗に説明が出来ても仕事は進まず、逆に何を思っていようが思っていなかろうが「やるべきことをやったら上手くいく」タイプのモノです。極論感情は要らないと言うか、機械的にでも自分の動機をドライブし続けられる人間が強いです。なんというか、そこに色は無いというか。無機質といえば無機質です。

これは考えずに仕事しろと言っているのではありません!自分が幸福になれるなれないの話でもなく、行動することから距離をとっている内は「仕事で結果が出ない」と言っているだけです、あくまで。(裏を返せば、結果を出しても幸せにならないならば、結果を出す必要はありませんよ!)

ただ、もし何かで結果を出したいならば、その事実を認識して、自分の個性と向き合い、如何に自分をドライブし続けられるか、を考えないといけません。

試合で勝ちたいのに、〇〇で練習が出来ない、と言っている内はもちろん勝てない。〇〇を克服して勝つために練習を続けるか、勝てないことを受け入れて楽しくやるか、そのスポーツ自体辞めるかです。楽しくやっていようが辛くやっていようが、行動として正しい練習をやり続けられた人が勝ちます。

仕事はできた方が、色んな幸福ポイント増えるというのが持論です。単純に言えば稼ぎが上りますし、色んな人と付き合えますし、人から頼ってもらえるとか、やりがいのある仕事ができるとか、社会の見え方が変わるとか、大半の人が人生で求めているものが手に入るのではと思ってます。

そういう意味で、仕事が出来ないに甘んじる理由として、何か個性を利用するのはあまりオススメできないです。

3. 結果と幸福が絡み合っているケース

自分は〇〇のせいで結果が出ず、結果が出ないから不幸なんだ!!!

1と2が重なっているケースです。こちらも同じことです。1個ずつ解消しましょう。

「結果出るならば幸せになる」のロジックが成立しているならば、まずは結果を出せるようになる。これは2と同じです。2が解消できれば、結果が出て幸福になります。

不幸の理由が結果が出ていないことと、ちゃんと明確にわかっていれば良いですが、普通はもっと複合的で解像度も高くなっていない場合が多いのではないか、という感じはします。

4. 結果と幸福が相反するケース

自分は〇〇のせいで結果が出ないが、〇〇の認識を正すと自分は不幸になってしまうんだ!!!

何か自分の個性によって上手く結果が出せていない。そしてその認識を改めてその個性を拠り所とするのを止めてトライすれば、結果が出るかもしれないが、その個性は自分にとって大切なものなので、そうすれば不幸になってしまう、ということです。つまり葛藤が起きうるケースです。

例えば、HSPを〇〇に代入すると、

自分はHSPの気質もあり中々仕事で結果が出ず、HSPなど関係ないと割り切ることも出来るんだけど、HSP的な部分を大切にしないと自分は不幸になってしまうんだ!!!

みたいな感じになります。個性を捨てれば結果が出るかもしれないけど、自分は幸せにはなれない、みたいな。恐ろしい例ですが「船で遭難して食料が無い状況で、自分が生き残るために既に死んでいる船員の肉を食べるか」のような。食べれば生きられるけど、人としての尊厳を失う、というような。

正直ケースバイケースな気もしますが、結果を出さないと幸福になれない、ということは実際の場面では少ないような気がしていて、最も大事にしたいものを取る or 傷つけない、が正しいのでは、というのが私の考えです。

結局はこれらの切り分けをちゃんと出来ることが重要で、自分がその概念を使って何をしようとしているのか、自覚的にならなければ、概念に飲み込まれて、本来望む形を得ることが出来なくなります。

概念は正しく使う

そんな訳で、個性を説明する概念とどう付き合うのか、という点を今回は書きました。「現在ある言葉で全てを説明しようとするのは窮屈」と先日以下の投稿で書いたばかりですが、新たに現実を正しく描写・説明しようと色んな概念が生まれること自体は良いことでしょう!

まだ名前の無い現実をどう捉えるか | 固定観念への服従と反抗

ただしかし、使い方を考えないと、概念に飲み込まれて本人も望まない結果に成りうる、ということだけは注意していかなければなりません。その辺りの認識だけ今一度、色んな概念が生まれる社会に今後も生きる身として、ちゃんとしておきたいですね!