社会人に適した効率的な学習方法 概論

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「学ぶこと」は「生きること」

と言っても過言では無いのではだろうか。人間はこの世に生を受けてから、常に(意識的にも、無意識的にも)何かを学び続けている。

「学ぶこと」に対する欲求は、三大欲求にも並ぶ、人間の根源的な欲求であるようにも思う。

現在我々が書を読んで得られる知識には、人類が長い歴史の中で探求、獲得、体系化してきた過去があり、それが人類として積み上がってきている。

それを中学・高校時代なんかは、数学の公式が初めから分かりきっている当然のことのように思い、実はその裏には、その公式を証明するために人生をかけてきた数多の数学者がいることを、全くもって理解していなかった。ごめんなさい、本当に。

人類にとっては、何かを学び、その学びを結晶化してアウトプットすることは、自分の死後も人類という種の生存確率を高めるための一つの営み、とも考えられる。そういった訳で、知的好奇心は人類にとって切り離せないものになっているのではないか。学ぶことに対する関心が高い人は多いはずだ。

学生としての学習から社会人としての学習へ

日本の中学生や高校生にとっての勉強とは、大学受験のために行っているケースが多い。受験を目的とした学習方法は、色々な教育思想に基づき学校や塾で体系化が行われている。

基本的には大学受験は「詰め込み」が効率が良い。そういうテストになっているケースが大半だからだ。結局はアウトプットの形式に最適化されたインプットが行われることになる。これは合理的だ。中学生・高校生から思考力や教養といっても、やはり第一目的に置かれる大学受験がそのような形式になっている限り、そういった学習方法から脱却することは難しい。

日本の学校教育についての批判は、様々な人が行っており、今回の主論点はそこではないので、これ以上は触れない。今回考えたいのは「社会人としての学び方」である。

そもそも、社会人といっても、本当に色んな仕事や活動をしている社会人がいるので、一緒くたに語ることは不可能なのであるが、それくらい抽象的なことを書こうとしている、ということでもある。なので、今回の内容がどんな人にどの程度役に立つのかは定かではない。

あくまで「自分はこういう理解でやったら、なんか良い感じでした!」くらいで書いているということをご承知いただきたい。ただ、自分で言うのも何だが、自分は比較的学習効率は良いと評される方ではあり、実践している学習方法は自分以外の人間の学習方法からインプットした要素も含まれるので、自分以外が全く使えないものでも無いとは思っている。また、自分がどのような前提で話しているかは記載するので、前提が違えば結論も異なる、という構造で理解いただけるかと思う。

社会人は何のために学ぶか

初めに社会人が学習する目的についてであるが、ざっくりと3パターンある。

  1. 非常に明確な目的(ex. 資格取得)
  2. ある程度の方向性は定まるが1ほど明確にならない目的(ex. 能力・スキル向上)
  3. そもそも方向性すら定めることが難しい目的(ex. 人生観や思考様式の変容)

1. 非常に明確な目的

主に仕事に必要な資格取得(ex. 税理士、TOEIC)が想定される。自分自身のスキルの証明や、やりたい仕事に就くために資格が必要ということはよくある。その資格や試験の突破、スコアの獲得等が目的となり、それに向けて勉強を行うケース。

2. ある程度の方向性は定まるが1ほど明確にならない目的

自身の仕事において、より高い結果を生み出す、より高い評価を得るための成長を目的にした学習が想定される。例えば、自分で作りたいものを作るためのプログラミングの学習や、コンサルティングの新しいプロジェクトで関わるクライアントが属する業界についての学習など。目的自体がある程度抽象的であることで、正しい学習の方法は明確には決まらず幅がある。

3. そもそも方向性すら定めることが難しい目的

いわゆる「人間としての成長」みたいな、定義も基準も曖昧な目的で、タイムスパンも長い成長に向けた学習が想定される。人生としての学び、みたいな話で、意識的にこの成長を生み出すために学習を行えていることは中々に少なく、結果的に振り返ってみて「成長していた」と認識する場合が多い。一方で、現在の「人間としての自分」に満足している人も決して多くはないように思われるので、このパターンに対する学習方法のニーズは一定ある気がする。

2,3を想定している

この3パターンがあった上で、自分が想定しているのは2と3である。1については「もう傾向と対策を掴んで時間とやる気を用意して頑張るだけ!」みたいに思っている。ある程度やり方は決まっているので、受験勉強と同じやり方で戦えるのでは。

ただ、意外と社会人になってから、机に張り付いて勉強する機会は激減したので、大学受験のように集中するのは中々難しいのかも。まあ、それも結局は戦術レベルの話なので「よしなに頑張る」ということで。

そんな訳で、自分は2,3を想定して話を進める。

学んだかどうかの判断

そもそも「学ぶ」とは何か、みたいな話を始めると終わりが見えないのであるが「自分の内面の変化によって行動が変化すること」ということとしたい。

「学び」は、その変化を生み出すための意味を持った情報になる。(必ずしも外からのインプットとは限らない。自分の中にある情報を処理して、新たな行動を生み出すこともあるため)

目的に対する結果を変える(ex. 未達を達成に)ためには、行動を変える必要がある。行動が変わるには、その背景に意思決定の方法や内容の変化が必要で、その意思決定の変化の背景には、情報量、思考、思考の処理プロセスの変化などが起きている。それは自分が学ぶことによって引き起こされた、と考える。この定義で考えると「最適な学びとは、設定した目的の達成に必要な行動に対して最も効率良く影響を及ぼすもの」となる。

しかし、留意が必要なのは、目的がいつもそこまで明確に定まらないという点である。特に最上の主目的に対するサブ目的、中間成果物などは幅が広く抽象度が高くなりやすい。抽象度が高くなると、学びが目的達成に対して効率が良いものであるか、という判断が難しくなってくる。

これは、パターンの3番目などでは特に。そもそもどんな成長をしたいのか言語化が出来ないし、言語化が出来たところで、それが達成される状態には大きな幅がある。思想的な成長は、それを裏付けるための経験なども必要になってくるが、その思想に至るために必要な経験など逆算できるはずもない。

釈迦の”悟り”の思想に至るためには、どのような思考プロセスが必要で、その思考プロセスを経るには、またその思考プロセスと結論を「妥当だ」と納得できるには、どんな経験が必要であるか、などと考えても無駄だろう。もし出家をして修行を積めば、誰もがガウタマ・シッダールタ同様に悟れるとすれば、世の中既にブッダが溢れているはずであるが、そうはなっていない。

後ほど記載しているが、目的設定は明確な方が学習効率は高まる。3のような抽象的な目的も、なるべく具体化する努力は学習効率の向上に貢献する。

学ぶことの構造

行動の変化を学習の目的としたときに、それに向けた学習の構造は以下のように考えられる。

結果の変化と、それを生み出すための行動の変化を目的としたときに、それに至るまでのプロセスがある。

インプットプール

まずは頭の中の情報全てがある「インプットプール」であり、これの絶対量は誰も正確には分からない。なので、このプールは想像上の概念である。ここには言語として得たが言語化されていない情報や、言語以外の情報(匂い、映像、触覚、音など)も含まれる。例えば、全く忘れていたことが、あることをきっかけに突然想起されるというような事がある。これは、自分から取り出すことは出来ないことも、情報自体は頭の中に存在していたということを示す。

チャンク化

インプットプールから、言語として取り出すことが出来た、意味を持った情報を「チャンク」と読んでいる。チャンク化できると、自分の頭で自由に加工が出来る。他のチャンクと組み合わせて、意味のある命題を生み出すことが可能になる。過去に「言語化」と「非言語化」と「チャンク化」について、書いていたことがあるので、細かく気になる方はそちらをご参照ください。

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命題化

命題って日本語よくわからないよね、って思いながら使っているのだが、ここでは「何か意味のあることを言っている文章」と捉えている。「正しい・間違っている」とか「良い・悪い」のような価値判断を下せる程度に意味を持っている文章だ。ここまで来ると、具体的に自分の行動(物事の捉え方・考え方もここでは含む)を変えることが出来る。

インプットから学ぶ

そういった構造の上で、情報のインプットが起きるとどのように情報は扱われるのか。「本を読む」というインプットを考えてみていただきたい。本を読んだ後には、そこから得た情報が、上記で説明した学ぶことの構造の各プロセスに振り分けられる。(下画像)

A. 具体的な行動変化に関する内容

本から直接行動について学びが得られることがある。特に「ハウツー本」なんていうのは、ここに特化した本で「〇〇しましょう!!」みたいな内容がずらーっと書いてある。逆に小説なんかは、読んだ後に「こういう風に行動しよう」のような命題は直接得られにくい。

しかし、ちょこちょこ言っているように、思考方法や物事の考え方の変化も行動の変化と捉えるならば、ハウツー本は身体的な行動に対する変容が多いが人生観のような深い影響は小さく、逆に小説で自身の人生観に大きな影響を与える作品は少なくない。わかりやすい行動というよりは、意思決定の軸などを大きく変えるものが多いのではないか。

B. 紹介されていた概念などの内容

本に登場するコンセプトなど。本を読んだ後に「ああ、こんな概念ね」みたいなのが残るが、「で、何すれば良いんだっけ」みたいに、行動に対して特に何かを言うには情報不足な状態である。ここに振り分けられた情報は、他の情報と組み合わせて、命題化することになる。

C. 言語化できていないが頭に残った情報

一応文章を目で追っていると、全然意識的には引っ張り出せないけど、頭には残っている情報がある。何がCに分類された方は本を読んでもわからないが、何かのきっかけでCに何かが残っていた、というのは分かることになる。例えば、自分の読んだ本に〇〇のことは書いてあったか?と聞かれたときに、それについては分かることが多い。

D. 全く頭に残らなかった情報

A,B,Cに入らなかった情報はDになる。イメージとしては、ジャガイモを料理するときに、切って捨てられて料理には使われない部分。

学びの効率に影響の出る差異

こういった風にインプットした情報が振り分けられ、行動変化のプロセスに乗っていく中で、上手く学べる人と学べない人の差はどのように説明されるのか。上の画像に基づいて、4つの点で人ごとに差異が出ていると思われる。

1. どれだけの事象をインプットに出来るか(Iの絶対量)

森羅万象から学べる人がいる。こういった人は、世の中の色々なものがインプットとして認識できている。一方で、わかりやすい形式からしかインプットが出来ない人もいる。机に座って読んだ本だけがインプットとして認識できていないような。

例えば、物理学者であれば、万物の運動が物理学に対する学びとしてのインプットに成り得る。ニュートンは落ちるリンゴから「万有引力の法則」を導いたとされる。自分は落ちるリンゴを見て、何を学べるだろうか。経営者であれば、訪れた飲食店から様々な学びを得られる。

この差は主に後述する「②興味・関心」「③関連付けを行う視点・知識網」によって差がついていると考えている。

2. 行ったインプットの内、どれだけ頭に残ったかの割合(D / Iの割合)

D / I の割合が低いほど、頭に情報が残っているということになる。この点は正直生まれつきによる部分も多いような気がしている。「よくそんなこと覚えているね」みたいに、何でもかんでも頭に残る人もいれば、重要な情報以外ほぼスルーしてしまう人もいる。

自分の経験としては、気にしいタイプの人の方が情報が残っているケースが多いように感じる。しかし、C. 言語化出来ていない情報に蓄積される割合が多い人は、言語化のスキルが無いと、結局Dと変わらないということになるので、実際の判別は難しい。

HSP(Highly Sensitive Person)の特性の1つである「些細な刺激に対する感受性(Sensitivity to Subtle stimuli)」は、この部分に影響しているように思う。

3. 行ったインプットの内、どれだけ命題を取り出せたか(A / Iの割合)

行動の変化を「学ぶこと」の目的とするのであれば、インプットをなるべく構造の中の進んだプロセスで得られる方が効率的である。同じ本を読んでも、実践すべき行動をたくさん引き出せる人と、そうではない人がいる。

読解力や理解力によってでる違いもそうであるが、この点は後述する「①明確な目的設定」によって大きな差が出ることが多いように思う。端的に言えば、具体的なアウトプットを想定しているほど、行動変化に繋がる学びを得やすい、ということになる。

4. インプットプールからどれだけ命題化まで滑らかに出来るか(Ⅱ/Ⅲ, Ⅰ/Ⅱの割合)

最後は、この「インプットプール」→「チャンク化」→「命題化」というプロセスをスムーズに、こぼれないように進められるか、ということだ。ここでのキーワードは「言語化」である。

頭の中にあることをどれだけ「言語」として、編集できる形に引っ張り出し、引っ張り出した上で、どれだけ意味のある命題を作り出せるか、によって行動の変化量が異なってくる。

言語化が下手な人は、インプットプールの総量が増えてもそこで歩留まりしてしまうので、結局行動が変わらない。そういった人は学習効率が悪い、ということになる。

逆にインプット量が少なくても、適切な行動の変化が生み出せている人は、言語化が上手いか、または具体的な行動変化を導きやすい本を読んでいる。前者の場合であれば、学習効率は高いということであるが、後者の場合は良いとは限らず、得ている情報が偏っており、自己の変化を外部に強く依存しており、自己で情報を処理して新たに創造する能力が弱いことが多い印象である。

学びを促進するためのカギ

こういった理解の上で、どのような工夫を行うことで、社会人としての学習効率を高めることができるのか、具体的に見ていきたい。

① 明確な目的設定

具体的なアウトプットなどを想定してから、学習をスタートすることである。例えば、プログラミングであれば、作りたいもの(ex. Webサイト、SNS、業務改善システム等)を明確にすること。資料作成であれば、先にメッセージを決めること。それが定まらないと、学習範囲や特に理解すべき内容、収集すべき情報が散漫になり、集中すべきポイントが分からなくなる。印象にも残らないし、時間もかかるという、大きな効率性低下を招く。

この点は「必要は成功の母」というか、必要性を先に作ることが学習の秘訣になる。先に作るもののコンセンサスを決めてしまうとか、先に役割に立候補してしまうとか、先に仕事を取ってしまうとか。そうやってどんな場でどんなアウトプットをしなければならないのか、がクリアになると、必要な情報の取捨選択の軸も非常にクリアになり、学習効率が大きく高まる。

② 興味・関心

興味・関心を持てるように工夫することである。知的好奇心が高い人間は、比較的新しいことに対して高い興味・関心を持ちやすいのであるが、そういった人でも更に高い興味・関心を引き出すような方法がある。

先輩に、色んな気になったことを研究して理解ができないと気がすまないタイプで非常に博学な方がおり、その先輩を見て学んだことの1つが「探究型学習」である。

ある興味を持った内容について、連想ゲーム的に関連する色んな情報を掘っていくのである。例えば「仏教」からスタートして、関連する情報に釈迦やインド思想などが出てくる。インド思想を調べると、ヴェーダのような聖典やウパニシャッド哲学といった概念が出てくる。ウパニシャッドからは、ブラフマン(宇宙我)とアートマン(個人我)の一致という考え方が出てくる。では、西洋哲学ではどうなってるんや、うんちゃらかんちゃら・・・・

のように、どんどんと自分の気になる点について、深ぼっていくと、次なる興味・関心が出てくる。このように知識に対して、能動的に得ていく癖をつけていくと次第に視点が広がっていき、知らないことが出てくるたびに探求し、自分の頭の知的ネットワークにマッピングしていくことで、次の「③関連付けを行う視点・知識網」につながっていく。

③ 関連付けを行う視点・知識網

対象について、その対象を見る目線を多く持つことで、インプットとなる対象が増える。コンビニに買い物に行くときに、例えば、経済学(ミクロ・マクロ)的な視点、経営学的な視点、などがあることで、サプライチェーン、レジの回転率、店員の国籍、プライシング、商品陳列、品薄の商品群、原材料の産地など、コンビニという対象から多くの点に気づき、様々な学びを得ることが出来る。

もし持っている視点が少なければ、一つの対象から気付けることは少なくなる。例えば、自分が落ちるリンゴを見ても「あ、もったいない」とか「美味しそう」などとしか思えないのであり、物理学的な視点を持っている人であるから「リンゴは落ちるのに、なぜ月は落ちないのか」等と思うに至るようになる。だから対象を学びに繋げるための視点を持つことだ。

この点は、②で出てきたネットワーク(知識網)も関わっており、ある対象について、近い似通った視点だけではなく、幅広い視点を関連付けていることで、対象を見たときに、様々な視点が想起される。このネットワークを持っておくことで「1. どれだけの事象をインプットに出来るか」の絶対量が大きく広がる。

特に哲学や数学といった抽象度の高い学問については、様々な視点を横断して、それらを関連付けることが可能になるので、知的ネットワークをより体系化させることに繋がる。この体系化が進むことで、自分の知識の地図に、対象を位置づけることが上手くなり、対象についての理解や解釈が進む。これは学習の効率について、「2. 行ったインプットの内、どれだけ頭に残ったかの割合(D / Iの割合)」や「3. 行ったインプットの内、どれだけ命題を取り出せたか(A / Iの割合)」に対してポジティブに影響する。

以前quoraで「学力と頭の回転」についての質問に対して、ある方が行った「結びつける力(連想力)が大きく影響する」という回答が高評価を受けていたのだが、この中では述べられていなかった「なぜ連想力の高い低いがあるか」という点では、上述のように「体系化された知のネットワークを保有している」また「対象から得る情報を具体-抽象する能力の高さ」が影響しているように思う。

学力は高いが頭のキレや回転が悪い人、学力は低いが頭のキレや回転が良いと言われる人が生じるのは何故なのでしょうか?

具体-抽象の能力については、1月に書いたこの投稿に書いたことだなと。

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④ 慣性

一旦ネットワークが出来てくると、知識欲に歯止めが効かなくなって「本を読まないと落ち着かない」みたいな状態になってくる。欲はさらなる欲を呼び続ける(=慣性)ので、この状態が好ましいか、というのは論点なのですが、この慣性が働き出すと、とにかくインプット量が増える。

何か知識を得ると、それに関連することが知りたくなって、気づけばAmazonの欲しい物リストに欲しい本が何百冊も・・・。いくら時間とお金があっても足りない。。。

知れば知るほどに「無知の知」になる、という話もある。これ以上彼らに何が必要というのだろうか、と思えるようなビル・ゲイツやウォーレン・バフェットといった人間が、今でも狂ったように本を読んでいる訳である。知れば知るほどに知らないことが増える。知の不思議。

また得た知識は新たな視点となって獲得する情報量を増やす。これがループすることで指数関数的に学びが増える。だから、地道な学習は非常に重要で、ある閾値を超えるまでは辛抱が必要だなと。今思えば、大学の教養科目はこういった視点の増強が目的の1つとされていたように思う。

⑤ 自分に適したインプット形式

自分に情報をインプットする際に、どのような形式でインプットするのか、ということも重要になる。文字としてインプットすることが全てではない。映像や音、触覚などでのインプットも立派な情報になる。それらの情報はつなぎ合わせることで「学び」へと昇華する事ができる。

人によって、どんな形式から情報を得やすいか、のが違うことに気がついた。主には、文字以外の情報からどれだけの事が受け取れるか、で大きな違いが出ているように思う。「映像記憶」なんて言うのはまさにそんな感じで。

基本学校教育で、文字における学習は皆が習うのであるが、それ以外については体系化されて学習することも無いので、後天的な部分でそこに投資したかによって差が付きやすいのでは。七田の右脳トレーニング、みたいな言葉を覚える前にやるようなトレーニングは、まさにこの辺りに効いているように思う。

その他、音と記憶が関連づきやすいとか、匂いと記憶が関連づきやすいとか、記憶と結びつきやすくネットワーク化(関連付け)が促進される場合があるので、それを活かすと良いのではなかろうか。例えば、学習をしている時にずっと同じ音楽を聞いていると、逆にその音楽を聞くことでその時の学習内容を想起するようになる、みたいな関連付けが出来たりする。

⑥ 言語化

最後のカギは「言語化」である。思考をする場合、アウトプットして他者に伝達する場合は、言語による制約を大きく受けるので、情報を言語として扱えることで、最終的な行動の変化を生み出すための学びが増える。「4. インプットプールからどれだけ命題化まで滑らかに出来るか(Ⅱ/Ⅲ, Ⅰ/Ⅱの割合)」の部分に効く。

言語化は社会人でも、業務の中で上司などから口酸っぱく言われることも多いと思われるが、とにかく日々意識してトレーニングすることが王道だと思う。人に話す、ブログ書く、ツイートする、日記を書く、紙にメモる、などを続けていくことでしか磨かれない。

わかった気にならない技術「言語化」とはなにか

この言語化についても、指数関数的に成長する性質が恐らくあって、言語化能力が高まる → 言語化できる内容が増える → それによって更に言語化能力が高まる → ・・・みたいな所がある。なので、こちらも閾値を超えるまでの地道な努力が必要。

まとめ

社会人としての学習効率というよりは、効率の良い知識の獲得・生産に関するエッセイみたいな感じになった。

結論としてざっくりまとめると、

「ある程度の方向性は定まるが1ほど明確にはならない目的」についても、今回書いたようなレベルで大体のやり方が決まっている(特に明確な目的・アウトプット設定が効く)ので、あとは今回書いたカギなどを意識してやるだけ。

「そもそも方向性すら定めることが難しい目的」については、何を学習するべきか、の方向性が立たないので、気になったことを色々と思いの向くままに探求する。それを続けていると大体問いが収束していく(経験上おそらく哲学やら思想の方に向いていく)ので、その問いに対して、獲得した知識と自分自身の経験知から、納得感の高いアンサーを作っていけばよい。効率と言えるほどに、そもそもの基準となるような計画も立たないのであるが、基本セオリーはこのようになると思う。

学習の構造・性質を一度理解することができれば、学習効率を高めることは簡単だ。あとは、構造に基づいて自分の学習における課題を特定し、課題解決するためのアクションを繰り返せば良い。閾値を超えれば、あとは増幅する知的好奇心がグイグイと引っ張ってくれる。

(再びになるが、この状態が好ましいかは論点である。例えば、インプット中毒という概念もあるし、サルトル『嘔吐』に登場する”独学者”のような人を良いと思えるか、みたいな「持った知識をどのように扱うか」という視点もある)

やはり大半の物事は、現状分析(認識(≒分解))→ 課題特定 → 戦略策定 → 実行、のフレームワークに気持ちが良いくらい収まる。