結論消費主義時代の到来と天才の解放【前編】

漢字が多くて中二病っぽいタイトル・・・

中二病って他者に迷惑をかけない限りは、世の中が楽しく見える魔法の眼鏡だなって思って、だいぶ遅れた中二病を楽しんでいます。

俺は狂気のマッドサイエンティスト・・・

否!

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わたしのあたまはどうかしている。

自戒:ブログを書く上での注意点

年末年始にたくさん更新をして「面白い」と感想を言ってくださる方もいるのですが、自分でテーマや内容を考える上で気をつけようとしていることを自戒的にここに書いておきます。

新卒コンサル時代に面白くて読んでいた、業界トップクラスの方が過去に書かれていたラフなメルマガ的な記事に大事なことが書いてまして。

僕には一つの悪い癖がありました。本質を抉り出そうとするあまり、思考がどんどん現実を離れて空回りをはじめるんです。

概念的なレベルで考えを深めるのは悪いことではありません。むしろ非常に付加価値の高い作業です。が、同時にとても難度の高いスキルであって、一つ間違えると一般論に陥りがちで、それだと付加価値ゼロです。それを避けようとすると今度は抽象論のワナが潜んでいます。それも付加価値ゼロ。

コンサルタントに求められるのは抽象論と現象論の中間くらいなコンセプトを創出することです。あらゆるプロジェクトは、それぞれになんらかのコンセプト化がなされます。コンセプト化は、個別具体的な顧客のビジネスの状況に即して行われるので、殆どの場合は一度限りのアウトプットです。ですがその中で汎用性の高いものが創出されることもあり、それが所謂「経営コンセプト」として世の中に広く受容されていくわけです。

引用元

ちなみに、最初の「現実を離れて空回り」とは先日以下の記事で書いた「アウト」のことだと思っています。

“アウト”と幸福 | 現実からはみ出そうとしているあなたへ

「①適度に抽象化を図り他の人がまだ見えていない見方」かつ「②現実世界での適応が想定された形」で記事をアウトプットする、というのが、自分がブログを書く上で、意識しなければいけない点と思います。「アウト」しないように。。。

結論消費主義とは何か

さて、今回の本題です。

今回は「結論消費主義」という、情報における「早い」「安い」「美味い」が重視されている世の中を考えています。「結論消費主義」は私の造語です。

※自分はその主義に対して割とネガティブなので、そのアンチテーゼ(対立物)として、本ブログは「長い」「高い(有料noteのように)」「結論がよく分からない」の三重苦にしようかと思いましたが、それも不親切やなと・・・結局読まれないならば意味がないとも思うので。。。と自分の別の価値観とバッティングしたので普通に書きます。

結論消費主義がメジャーになる背景

SNSやYoutubeなどの普及に伴い、コンテンツ生成が民主化されています。ビジネスとしてブログ運営やYoutuberを行う個人、インフルエンサーになると自分の本を出版する、企業によるオウンドメディアも当たり前、となり、社会におけるコンテンツ供給量が爆発的に増えていきます。

一方で消費側の時間は有限ですから、供給に対して取捨選択が行われます。その際に競争原理が働きます。認知(Attention)の時点ではSEOなどが重要な視点ですが(そもそも出会わないとコンテンツは消費してもらえない)、興味・関心(Interest)のフェーズでは「出会ったコンテンツから自分の好きな・欲しい情報がどれだけ効率良く得られるか」がわかりやすく優劣になります。

先日伸びているYoutuberに関して、バズっているツイートを見かけましたが、このようなロジカルな構成が、リスナーにとっては「短い時間で手っ取り早く」「役に立つ or 面白い情報が得られる」ということだと思われます。

そんな競争が激化する中で「長い」「結論がない」「面白くない」コンテンツなんて誰からも相手にされなくなり淘汰されるのは当たり前です。

その主義が行き過ぎることに対する危機感

上記のような競争原理の元で、消費者ニーズに合わせて、コンテンツ生成を行っていくことは正しいです。今後もそういったコンテンツ生成を行っていくクリエイター、インフルエンサーが支持を獲得し続けていくと思います。

逆に「岩波文庫を片手に思索に耽る」みたいな前時代の「知的でクール」なのは今後人気がなくなっていくんじゃないかなと。

そこで、私は結論消費主義に対する批判も示しておきたいと思います。

今後の社会の変化と結論消費主義の不和

2020年も到来しましたが、今後の社会はこれまでに無いスピードで変化していくとされます。

「本当にそうかよ」という指摘もあるのかもしれませんが、色んな調査・コンサル会社やビジネス界の巨人たちがそういっているので、一旦そういうことにしちゃいましょう(爆)今回の本筋はそこでは無い、ということで。

これからの社会を生きていく上で、激しい変化の中に対応していくことが必要になっていきますが、そうなった際に結論消費主義的にやっていくとデメリットが強く出ていくのではないか、と考えています。

結論だけでは変化に対応できない

結果消費主義においては、完成した製品(結論)を中心に情報提示されます。

しかし、その結論における前提条件の変数や、その結論が導き出された検討のプロセスが見えにくくなります。消費者的には関心があるのは基本的に結論なので、それに直接的に関係がない要素はノイズとなってコンテンツからは削られやすくなります。

結論とは、あくまで所与の条件下におけるアウトプットです。もし、その前提条件が変わった際には、結論も変わり得ます。今後の時代の変化とは、そういった前提条件の変化も激しくなっていくこと、と私は捉えています。

つまり、結論だけを理解していても、その前提条件の関係性や、結論が導き出されるまでの検討プロセス(Ex. 何と比較検討した結果としての結論なのか?どんな検討軸で検討されたのか)や、論理までも理解をしてないと、状況が変化した際に、その状況においては誤った結論を信じてしまうことになります。

もし、現状のコンテンツから、そこまで踏み込んで、結論の背景部分を自分なりに思考して、応用できるようになっていれば問題はありませんが、その思考部分は軽視されていると感じています。

有名な老子の言葉には

授人以魚 不如授人以漁

人に魚を与えれば1日で食べてしまうが、人に釣りを教えれば一生食べていける

というものがありますが、それを用いて言い換えるのであれば「魚を与えてくれる人がたくさん出てきているが、感覚的な部分も含めて釣り方を丁寧に教えてくれる人は少ないし、そもそも釣り方を自分自身でもしっかり研究・アップデートしないといけない時代」ということ、と捉えています。

ジレンマ・罠を乗り越える必要がある

結論を導き出すまでの背景を思考していくことは時間のかかる作業で、結論消費に慣れすぎてしまうと、インプットにかかるコストにすごく敏感になって、そういった行動を避けがちになります。(Ex. 考えるのがめんどくさいから、すぐに答え合わせしちゃう)

過去に仕事の中で気づいて書いた「生産性の罠」がありました。生産性の罠は「短期的な生産性向上を目的にすると、最もインパクトのある生産性向上に取り組むことができなくなる」というものでした。

同様にコンテンツ消費の目的を短期的におくと、変化の中でも戦い続けることが出来る思考力を身につけることを阻害します。

社会人1年目ではまった”生産性の罠”

変化の時代を生き残る2つのアプローチ仮説

そんな変化の未来ですが、その中を生き残っていくための2つの仮説的なアプローチを考えています。

  1. 変化速度< 結論コンテンツ生成・取得速度を実現できるようになる
  2. 自分の頭で考えて変化に対応できるようになる

1.変化速度< 結論コンテンツ生成・取得速度を実現できるようになる

現在はコンテンツ生成量が爆発的に増えており、日々何か変化がある度にみんながツイートし、支持を得るものはバズる。そんな時代です。人々の課題を解決するためのコンテンツもどんどんと生成されています。

昨年私は株式会社の設立を経験しましたが、会社設立に関わる細かい疑問点を解消してくれるコンテンツがWeb上にはたくさんあります。freeeなどスモールビジネスを支える企業が運営するメディアや税理士のブログなど、ある程度信頼のおけそうな情報がたくさんあります。

今後も社会・組織・個人における問題も、同様の経験をして解決した人間や、専門的な知識を持った人間によって生成されるコンテンツが問題解決をサポートしていくことになると思われます。※そしてそれを支えているのはGoogleなど「欲しい情報にたどり着ける」を実現する検索エンジンです。

結論消費主義的なコンテンツであっても、その状況に最も適切なコンテンツが生成され続けていれば、自分で深く考える必要はなく、そのコンテンツに出会えさえすればOKです。

なので、具体的には情報収集力、Webにおいてはググり力、個々の情報源の特性など関する知識などが重要になります。

ただし、前提が変化量<結論生成・取得速度が実現できることなので、逆になった場合は、その生き方に頼っていると対応が出来なくなる、ということになります。

2.自分の頭で考えて変化に対応できるようになる

そしてもう一つが「状況に応じて適切な結論を自分の頭で導き出せるようになる」ことです。情報を自分の中で料理していきます。

発揮のために必要なモノは全て自分の頭の中に残るので、とっさの場面でも対応が可能になります。(1の場合はPCとか情報収集の手段がない場合にボロが出やすい。議論の場面とか)そして自分の力で状況に応じた新たな結論を生み出すことも可能になります。

結局自分の頭で考えられるのが最強というのは、割と疑いが少ないことかもしれませんが、①訓練には時間がかかる、②努力で全く敵わない才能がある、が主なネガティブな点かなと思います。

スライド作成における例

インドア, おとこ, カンファレンス

2つのアプローチの違いについて、具体的な例として仕事でプレゼン資料を作成する場面を挙げてみます。

プレゼン資料にも良い悪いがあり、プレゼンで自分の企画を通すために、なるべく良い資料を作成したいと考えているとします。実際には両者のバランスですが、両極的な表現をしています。

前者:結論アプローチの場合

作った資料をとりあえず破る上司のイメージ

やること
良いスライドの要素、条件をたくさんインプットする。上司からフィードバックを受けて、修正箇所を言われたとおりに直す。

どうなりがち
結果の悪いところを直そうとしても、プロセスが変化させられなければ、アウトプットも変化させられない。成果物の評価は出来るようになったけど、結局自分の力でゼロから良いスライドを書けるようにならない。

良いスライドが生み出される”関数”自体の理解は深まっておらず、その場面において最適なスライドを書くために必要な考え方やプロセスをどのように磨けば良いか、を分かっていないから。

後者:考えるアプローチの場合

実は考えている図

やること
正しいスライドの書き方の原則を自分の中で解き明かそうとする。過去の良い資料から、なぜそのような全体構成、1枚のスライドになったかを帰納的にパターン化し、今回のケースにも適応できるようにする。

スライドを書く上での変数(Ex. 受け手の属性・感情、伝えたいメッセージ、納期)に対して、今回のケースに変数を代入して、最終的なアウトプットを作成する

どうなりがち
時間がかかりすぎて完成に間に合わない。一緒に働く人と仕事のスケジュール感がズレたりして心配・迷惑をかける。納得感が得られないとスライドかけなくなる。

正しさを解くことに固執して、受け手の視点が無くなった独りよがりなスライドを作成してしまう。(”アウト”している)ビジネス的ではなく研究的になってしまう。

二項対立ではないけど、考える方が足りていない

上記2つが変化に対応するアプローチ仮説ですが、二者は別に二項対立ではなく、どちらも重要で両方できるのが良いと思います。

ただ自分の印象としては、前者の「変化速度< 結論コンテンツ生成・取得速度を実現できるようになる」の方に意識が置かれすぎて、後者の「自分の頭で考える」の方が軽視されている印象です。

前半としてはここまで。後半からは人間誰しもが持っている、天才的な部分を活用して「自分で考える」ことにフォーカスして、考えるためには何が必要か、どのように考えれば良いか、を深堀りしていきたいと思います。

▼ 後編はこちらから

結論消費主義時代の到来と天才の解放【後編】

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