人生は偶然に左右されるが今日も頑張る意味は大いにある

社会人になってから、人生って思い描いた通りには全然進まない、ということをとても感じるようになった。それは良い意味でも悪い意味でも両方で。

大学生の時に描いていた社会人プランなんて簡単に崩れ去ったし、全然想像もしなかったことを現在もしているし、社会人になってからもブログ書いているなんて思ってもいなかった。

そんなこんなで、自分にとってアンコントローラブルな「偶然」や「突然の機会」「チャンス」によって人生は大きく左右されているということを、とても体感していると思う。

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映画 Being There(邦題:チャンス)

偶然を変数に入れると頑張ることが無駄に思える?

偶然に人生が左右される中で、1つの考えにたどり着くことがある。

偶然が人生を決めるならば、努力することは無駄なのではないか

と。例えば、自分がどんな環境に生まれるかなんて、全くの運であるし、スタート地点で大きな格差が生まれているのは事実だし、ビジネスにおいても、やってみなければ分からず、正しくやっても成功する保証はない、ということも多い。あのレイ・ダリオでさえ、一時はブリッジウォーター従業員の給料も払えなくなって、社員ゼロになるまで追い込まれている。

ポール・グレアム率いる最強のアクセラレーターであるY Combinatorでさえ、どのスタートアップが当たるか読み切ることはできない。2,630件投資してExitできているのは約10%の272件だ。(※数字はCrunchbaseより)不確実性と確率論を理解しているから投資家はポートフォリオを組む。そのポートフォリオの中で、DropboxやAirbnb、Stripeみたいな会社が1社でも出れば、全体の損失をカバーして有り余るリターンになるのだ。

と、考えると「そんなフィールドで戦っている人でさえ、頑張っても上手くいくのか分からないのであれば、頑張る意味って果たして・・・?」と思えてこないだろうか。人生ぬるっと楽しくやった方が良いのではないか。どうせ最後はみんな棺桶に入るのだし。

人生をカジノゲームで例える

しかし、私は頑張ることの意味は大いにあると思っている。それを「カジノ」を例に例えてみたい。人生をゲームと割り切る思想は嫌いだが、例としてしっくりくるので「人生はステージ制のカジノゲーム」と言わせていただこう。

基本的に賭け事において、リターンの期待値は

①賭け金 × ②勝利時のリターン倍率 × ③勝てる確率

で求められる。「リターン期待値>賭け金ならば賭ける」というのが合理的な意思決定であろう。カジノで勝てるか勝てないかは、運による部分が大きいので、極論化して基本的には勝率は人に左右されないとする。

私のカジノの仕組み

ここでの仮想カジノの特徴は「ステージ制」であること。最低賭け金に及ぶだけのお金が無いと、そのステージには入れない。お金がない人は低いステージで遊ぶしか無い。逆にお金のある人は上のステージで遊べる。

そして、上のステージに行くほど、勝った際のリターン倍率が高くなる。だからこそ高い賭け金を払ってでも、そこでのゲームに参加する動機がある。

そして勝つか負けるかはステージを問わずに同一の確率(ここでは10%)である。

大きなリターンが得たいならば上のステージへ

期待値で見れば、そもそもStage1は参加する意味すら疑われるゲームである。そして勝っても最大で10万円。逆にStage3など上のゲームにいけば、最低賭け金は大きいものの、最大リターンが10億円と圧倒的に大きい。なのに勝率が同じなのだ。Stage1で10万円を得られる確率と、Stage3で10億円を得られる確率は同じなのだ。

これは参加するしか無い。となると、もし自分が大きく勝ちたいならば、上のステージに行かなければならない。しかしステージには参加資格が必要で、最低賭け金に満たないとゲームには参加できないのである。

ゲーム設計の背景

なぜ現実をこのような設計のカジノゲームに模すか、背景となる自分の実感値を書こう。

成功には運や偶然が関わっており、能力やお金があるからと言って必ず勝てる訳ではない(⇒Stage間で勝つ確率は同一)

これは先述だが、Y combinatorでさえ投資先が上手くいかないことはいくらでも起きている(そもそもスタートアップは不確実を前提とした活動)。レイ・ダリオも失敗する。どんなに偉大な人間でも失敗することはある。予想できない事態がこの世には起きる。それは誰にも等しく生じること。

より大きなリターンを得る方法は、アセットを持った立場であるほど豊かにある(⇒リターン倍率がStageが上がるほど高い)

「数億円を手に入れたい」と思った時に、一般的な民間人に出来ることは「宝くじを買う」くらいのことしか思いつかない。もちろんゼロから会社を起こして、成功させて売却して、みたいな手段もあるのだが、そんな所まで思考が至って実際に動き出せるとは思えない。

逆に、既に大きなアセット(お金、スキル、情報、信頼、人間関係など)を持っている人間にとっては、宝くじが当たる確率(一般的に0.000005%と言われる)でリターンを得る方法などいくらでもある。シンプルな投資でも、元手があれば、複利で時間が経てばドンドン大きくできるし、既に10万人のYoutube登録者がいれば、そこから億円ビジネスを創ることは不可能では無いだろう。むしろ何やっても、宝くじよりはマシな勝率なのではないだろうか。という意味で、勝率は上のステージほど高いとさえ思えてくる。

同じアセットを持っているの人同士が仲良くなる(⇒リターン倍率がStageが上がるほど高い)

同じくらいのアセットを持っている人同士が関係を持ちやすい。地区大会レベルの選手の友達は地区大会選手だが、オリンピック選手には他の種目のオリンピック選手の友達が出来る。芸能人は芸能人と結婚することが多い。同じレベル・世界であれば接点が自然と増えるし、レベルに差が有りすぎる場合に、長期的に付き合えるメリット関係が築けないことが多い。

リターン倍率として、ステージごとに傾斜があるのはそういうことで、何か偶然の話が入ってくるとしても、その大きさが付き合っている人で全く違うということだ。社長同士で入ってくる大きな仕事の話が、一介の社員に持ちかけられてくることはないのだ。普通の人に訪れるラッキーなど、ダイドーの自販機で「7777」でもう一本無料でもらえるくらいのものだ。

最低賭け金=アセット、リターン=人生のリワード

今回はカジノの模してお金的な表現をしているが、実際はお金だけではない。

最低賭け金とは、お金、スキル、人間関係や信頼、具体的なビジネス資産などを含むアセットのことである。スキルが高い人は大きなアセットを持つし、Twitterでフォロワーが10万人いる人はそれもアセットである。その概念上の総合値によって、参加できるステージが変わっている。

リターンとは、お金、体験、など自身の幸福感に関わるものである。リターンが大きいほど、自分にとって良い結果になる。市場を揺るがす大きなディールに携われるとか、素敵な友人との出会いとか、旅先での貴重な経験とか、世界一周とか、自分の人生を豊かにするような経験が、高いリターンである。

であるので、高い金銭的・精神的なリワードを得たいのであれば、上のステージに行きましょう、ということになる。

努力をすることが成功(リターン)に繋がるか、には運もかかっているが、努力することでアセットを積み上げて、高いステージに参加し、期待リターンを高めることは出来る。

運は”勝率”の部分の話に過ぎない

「運なんだから頑張っても意味ないじゃん!」というのは、あくまで勝率の部分に過ぎない。確かにそこはアンコントローラブル。

だが、もし勝った時に大きく勝ちたいならば、勝てるかどうかはわからなくても、アセットを積み上げる努力をしないと大きく勝てることはない。

だから、まずは上のStageのゲームに参加する資格を得ること。それはつまり、そのためには能力や実績、信頼などのアセットを積み上げること。これには努力が必要だ。どうせ勝てるかは分からないが、勝った時にリワードが大きくなる、という意味で努力の意味は大いにある。そもそも大きくベット出来るようにならないと。低いステージで確率で勝っても大して仕方がない。

だから「短期的に勝っているか」どうかではなく(それは大抵アンコントローラブルなのだから)「プレイしているステージが上がっているかどうか」について意識しておくことで、努力の意味を確認できる。

コントロールできないことに気を揉むのでなく、コントロールできる部分をしっかりとやるべきではないだろうか。

ただ、そもそも勝ちたくないならば、今回の話は関係ないのですが。

友人からの批判

んなことを考えて、友達に「これどうよ」って送ったら

極めてくだらん

と一喝の後、前記事で触れたブラック・スワンにも絡めてこんなのが返ってきた。

お前さんはカモだ。
金に騙されちゃいけない。
あれは単なる数字だ。
自立ってのは心の問題なのさ。

-ナシーム・N・タレブ『反脆弱性』

・・・達観されてらっしゃる。そういえば意図せずに最初に使った『チャンス』のGIFでも同じことを言っていた。

Life is a state of mind.

人生は心の在り方である。

ゲーム化するよりも、世界を捉える自己にある意図とどう付き合うか?が大事かもしれない。