ACTとは何か | 思考のパラダイムシフト

ACTとの出会い

年末に仲の良い友人から「これでも読んでみ」と一冊の本を勧められた。

幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない

どうやらACT(Acceptance and Commitment Therapy)と呼ばれる、心理療法の本であるらしい。逆説的なタイトルが煽りっぽくて、ちょっと嫌な感じがする。

その友人は強迫的なまでのインプットを学生時代から行っており、たまに「よく分からない本」というか「怪しい本」とかも読んでたりするので、話半分程度に聞いていた。

しかし、Rotten Tomatoばりに辛口レビュワーである友人が「めっちゃ良い」と勧めていたのは珍しく、印象には残っていた。

心理的な領域の本というのは、「怪しい」又は「そんな当たり前のことを」くらいな感じが多いイメージなのだが、今回はどうやら割とちゃんとした研究に基づいた本ということで、読んでみることにした。

そして先日読み終えての感想は「ナニコレ面白い!!!!」だった。さあ、何が面白かったのか書いてみるとしよう。

ACTとは何か

ACT(Acceptance and Commitment Therapy)の定義から確認しよう。

ACTは実証に基づく心理学的な介入法であり、さまざまな方法で、アクセプタンスとマインドフルネスの方略にコミットメントと行動変容の方略を併せて用いることで、心理的柔軟性の向上を目指す。

Wikipedia『アクセプタンス&コミットメント・セラピー』

ちょいと難しい。が、要するに

Why:心理的柔軟性の向上

What:実証に基づく心理学的な介入法

How:アクセプタンスとマインドフルネスにコミットメントと行動変容を併せて用いる

とのことだ。その後に、もう少し噛み砕いてACTの目的が付け加えられている。

ACTの目的は、困難な気分を取り除くことではなく、むしろ私たちが自らの人生と共に今この瞬間に留まり、価値づけられた行動へと向けて前に進むことである。ACTでは、不快な気分に対して、オープンでいること、過剰反応せずにいること、そして、そういったものを引き出されるような状況も避けずにいることを学べるよう促す。

Wikipedia『アクセプタンス&コミットメント・セラピー』

つまり、ネガティブな感情に対して、それを取り除くのではなく、むしろそれらに対してオープンで在り、過剰反応せずに価値ある行動にコミットしていく、ということである。

こうやって書くと、スピリチュアル的で眉唾感があり、故に敬遠してたのだが、本書は「スピリチュアルやその類のものでは無い」とし、すごく論理的で説得力があることが段々と分かってくる。

ACTを必要としていると思われる人

自分が読んでみて、ACTがどんな人に知られると価値があるのだろうか、と思ったのは

  • ネガティブな思考がいつも湧いてくる人
  • 心の声に振り回されている人
  • 自己否定が止まらない人
  • 思考や思想・哲学に興味がある人

かなと。前回の自己否定の記事に興味があった方は割とドンピシャと思われる。

自己否定と今日も戦い続ける我々の終戦はきっと近い

上記に挙げたような方々にとっては、小さからぬインパクトがあるはず。上記に当てはまる私の場合は、ここ5年くらいの自己に関する色んな論点が解消された気がしている。

まさに「パラダイムシフト」である。言われてみるとシンプルなのだが、自分がこれまで躓いていたポイントを全て抑え、その上で体系化されているので納得感がとんでもない。

刺さる人にはとんでもなく刺さると思うし、そういう内面的な部分にあまり悩んでいない、又は興味が無い方にとっては「ふーん」程度だろう。エッジが効いているというかニッチ。でもそんな訳でAmazonでも星4.6/5.0という高い評価になっている。

ACTについて、ここからはハイライト

ここからは、個人的に重要であったポイントをハイライト的にまとめておく。ただし内容は、本や専門的な定義内容と必ずしも一致せず、私の解釈によるバイアスがかかっているということに注意していただきたい。

これをきっかけにACTに関して興味が湧いた方は、ぜひ今回紹介した『幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない』や、その他専門書、学術的な論文に触れてみていただければ幸いだ。

ACTにおける重要な前提

本書では、そもそもの我々の思い込んでいる前提とは異なる重要な前提を設定している。

  1. 「思考」をコントロールすることは不可能である
  2. 「行動」は「思考」から独立している

この2つの重要性はお分かりいただけるだろうか。それぞれを詳細に説明する。

1.「思考」をコントロールすることは不可能である

私たちは、常に自分の思考をコントロールしていると思っているが、実際にはそうではない。私たちは、別に思考の主導権を完全に握っている訳ではない。

例えば、仕事で重要なプレゼンテーションを控えているとする。自分のプレゼン次第で、億円単位のお金が動くことになる。あなたはこの場面で緊張するだろうか。

もちろん緊張するだろう。そこであなたは「落ち着け、緊張するな」と自分に言い聞かせる。さあ緊張は解けただろうか。もちろんそんなはずはない。変わらず食事は喉を通らず、頭の中には「失敗したらどうしよう」が繰り返される。

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訓練で解消されるって?いやいやそんなはずがない。世界最高の投資家であるウォーレン・バフェットでさえ、人前で話すときには足が震えてしまうのだ。あのバフェットでさえ、緊張をコントロールできていない。

ACTでは、思考とは自分の意思とは別に本能から湧いてきてしまうものであるとする。人間が動物である以上、生命の危機などを察知するとアラートが出るようになっている。

危険を回避しろ!

幸いにも人間はマンモスに踏み潰されるようなことも無くなったが、一方でそのアラート機能は現代にも残っており、それらのアラートはプレゼンみたいな日常のありふれた場面でも鳴るようになってしまった。おかげで毎日アラートが鳴りっぱなしである。

だから、思考を完全にコントロールすることは出来ないのだ。自分の意識とは別の部分によっても動かされてしまう。だからACTは「思考を支配しようとすることは今すぐ止めよう!!」と高らかに謳う。

2.「行動」は「思考」から独立している

2つ目の前提は、行動は思考に支配されないということである。これを簡単に証明するアクティビティがある。

「このブログを閉じなければならない。閉じろ!」と言いながら、ブログを開けておいてみよう。このブログは閉じただろうか?もちろん閉じてはいないだろう。

何を当たり前の事を、という感じだろうか。このアクティビティから言えることは、今自分が口にした言葉「ブログを閉じる」と、自分が行った行動「ブログを閉じない」は関係が無い、ということだ。

あることを思ったから・言ったからといって、自分がそれをするとは限らない。別にする必要もないし、思ったからと言って自動的に行動することにもならない。つまり「思考」と「行動」は独立なのである。

「じゃあブログを開けたままにしている自分って果たして誰なんだろう・・・」という点に気づいてしまうと、哲学やら脳科学のおもしろーいお話にハマっていくことになる。ここではもちろん扱えないが、興味のある方は以下の書籍をオススメする。平易な言葉で語られているが、脳科学の研究に基づいた直感に反する衝撃的な内容となっている。ブルーバックスは知的好奇心を唆られる本が多い。(大半は難しすぎて今の私には読めないのだが・・・)

単純な脳、複雑な「私」

やや脱線したが、行動は思考から独立している、というのが2つ目の前提になる。

ACTにおける重要概念「脱フュージョン」

上記の前提に立つと、普段の我々が自分を辛くさせるような行動をしていることが明らかになってくる。それを示すのが「フュージョン」の概念である。

ACTにおけるフュージョンは、思考と、それが指し示すもの(物語と実際の出来事)が混じり合い一つになった状態を指す。私たちはレモンについての文章を読み、本当にレモンがあるかのような反応を示す。犯罪小説を読んで、本当に誰かが殺されるかのように反応する。「自分が無能だ」という言葉には、本当に無能であるかのような反応を示してしまうのだ。

-ラス・ハリス『幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない』

フュージョンとは、思考と状態が一致していること。「そんなの当たり前だ!」と思うかもしれないが、前提を思い出そう。

「思考」をコントロールすることは不可能である。

これらの反応は、刺激に対して自分の意思とは反して勝手に起きるものなのだ。そしてその「思考」と「自分の状態」はもちろん一致しない。

例えば、幸せな時に、

私は不幸だ!

と言ってみよう。あなたは不幸になっただろうか。もちろん幸せなままだろう。

「思考」と「自分の状態」も全くに異なる。実際は全く異なるにも関わらず、「思考」と「状態」が一致しているフュージョンの状態とは、我々が選択しているに過ぎない。選択肢があるのであれば、我々はフュージョンの逆、つまり「脱フュージョン」することも選択できるのである。

「思考する自己」と「観察する自己」

ACTでは、自己を2つに区別する。「思考する自己」「観察する自己」だ。

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「思考する自己」とは、計画や判断、創造や分析などを司っている。一方で「観察する自己」とは、集中や注目、気づきなどを司る。この2種類は全く別の機能である。それを体感するためのワークが以下だ。

目を閉じて、心の中にどんな思考やイメージを浮かんでくるか観察する。湧いてくるまで待つ。浮かんできたら、これらの思考やイメージが自分がどこにあるのか(自分の前か横か後ろか上か等)観察する。数分経ったら目を開ける。

ここで、浮かぶ思考とは「思考する自己」によるものであり、一方でそれを観察していたのは「観察する自己」である。この二者を明確に区別することが重要になる。

「破滅と憂鬱」のラジオ

「思考する自己」とは、24時間流れているラジオであり、それを聴かされているのが「観察する自己」である。そして我々にとっては、そこで流れているラジオ番組の多くは「破滅と憂鬱ショー」なのである。「私は失敗する」とか「私は無能だ」とか、ネガティブな内容をずーーーっと流し続けている。

フュージョンとは、つまりこの「破滅と憂鬱ショー」を真面目に聞き続けて、その内容を信じている状態なのである。そんなことを続ければ、辛くなることは目に見えている。

さらに、このラジオはスイッチが切れない。というのは「思考」をコントロールすることは不可能である、という前提に基づく。私たちにこのラジオ(思考)をコントロールすることは出来ないのだ。

では、どうするか。答えはシンプルで観察する自己を「目の前のことに注意を向ける」のである。例えば、作業に集中していると、周囲の音が全く聞こえないのというのと同じだ。確かにそこに音はあるはずなのに、意味のある情報として入ってこない。

これはラジオの音を積極的に無視することとは全く異なる。もし無視をしようと思えば思うほどに、その音が気になってしまうからだ。

「思考する自己」と「観察する自己」をしっかりと区別して、観察する自己を目の前の然るべき対象に注目させれば、思考する自己のラジオは意味を持たない単なる音に変わる。音(思考)が聞こえても、その思考の存在を認め「思考する自己が”〇〇”と言っている。教えてくれてありがとう。」と感謝をして、観察する自己の注意を目の前のことに戻す。これが出来れば良い。

衝撃的なパラダイムシフト

ここまでに書いている内容が、ACTの前提部分というか思想的な部分なのだが、ここに大きく影響を受けた。これまでの自分は「思考によって納得がいく解を導き出す」というアプローチによって、より良い状態を実現することを志向していた。

そこでたどり着いた1つのコンセプト「アウト」は、ある種「これ以上思考しても無駄」という限界領域が存在することを提示し、意味のある現実的なレイヤーに思考を戻しましょう(ゲームイン)ということを言っているのだが、ACTでは「そもそも思考は無視しておk」っていう、思考の程度の問題ではなく、思考という行為自体の価値に疑問を呈する。わー、なんやそれ。考える必要ないんかい!

イメージとしては、迷路の最初の分岐でもう違う道選んじゃったかのような。その後どんなに頑張っても、ゴールは無いのに、どんどん奥へ進んでしまったような。ゴールのない迷路に詳しくなってしまったけど、自分は結局はゴールのない方を選んでしまっていたのだ。なんてこったい。

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変な方に迷い込んでしまった。

過去の哲学者にACTを教えたらどうなるのかが気になる。「んなもん俗だ!!!!」って言われるだろうか。確かに「真理の追求」を目的にするならば、ACTは意味をなさないが、「個人が幸せになる」という目的に対しては、かなり妥当なアプローチであると感じる。

ACTが示す我々が行うべき行動

これまで述べてきた前提・思想の元で、ACTは「FEARを避けてACTを行う」という行動方針を我々に提示する。こういうキャッチーなバクロニムが、流行る理由になりそう。

避けるべき”FEAR”とは、

  • F:Fusion with your thoughts「思考とフュージョンする」
  • E:Evaluation of experience「経験を評価する」
  • A:Avoidance of your experience「体験を回避する」
  • R:Reason-giving for your behavior「行動に理由を与える」

であり、”FEAR”によって多くの問題が生じている。

他方で”ACT”を推奨している。

  • A:Accept your reactions and be present「自らの反応に気づいて今この瞬間とつながる」
  • C:Choose a valued direction「価値づけられた選択をする」
  • T:Take action「行動する」

“ACT”という言葉そのままに込められているように「思考に左右されず価値ある行動をただ行う」ことをACTでは推している。なぜならば「自分が唯一コントロールできるものが行動であり、行動のみが直接的に自分の人生を変えることが出来る」からだ。自分の思考も感情も、他者も、社会も直接的なコントロールは出来ない。自分が直接的にコントロールできるのは「行動」のみだ。

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だから、意味のない思考はただ存在を認めて、黙々と自分にとって価値ある行動を続けよう、というのがACTのメッセージだ。キレイな結論だと思うし納得感も高い。しっかりとACTの前提を自分の中で認められれば、この結論を認めて行動することにフォーカスし、実際に自分の人生を豊かにしていくことが出来そうな気がする。すごい。

価値と目標の違いについて

価値ある行動をする、というACTの方針で「価値」とは何を指すのか、という話がある。中々にわかりやすい説明をしていたので、併せて紹介しておく。

  • 価値:目指す方向性。終わりの無い進化のプロセス。イメージは矢印の向き。
  • 目標:望んでいる成果で達成可能。達成されれば終了。イメージは点。

価値に沿った行動とは、自分にとって大事にしたいことの方向性に沿った行動であり、いうなれば「西を目指す」のようなこと。目的地ではなく方角。どんなに西に行っても、その先にまた西が在り続ける。終わりはない。だからそもそも、その方角に行きたいかどうか、が重要な論点になってくる。つまり、自分は「何に価値を感じるだろうか」という問いだ。

目標は「あの山を目指す」のようなこと。その山についたらミッションコンプリート。目標は明確な行動を続けるための手段であり、それは価値に沿っていなければ意味がない。西に行きたいのに、東にある山を目標にしても仕方がない。行きたい方向がわからないのに、あの山に登りたい、と決めることも同様だろう。

ただ、私としては行きたい方向さえ、すぐに分かるものではない、と思っているので、初めの内は目標が目的化することも仕方がないかなと思っている。とりあえず、どこかの目標に進んでみて、「こっちの方角なんか違うかも」と違和感を持ち、文字通り”方向転換”することもあるだろう。

だが、いずれにせよ、最終的には自分にとって大切な価値を明らかにし、思考に惑わされずそれに沿って行動を続けていくことで幸福になれるというACTの主張は納得感がある。

ACTまとめ:はい、採用どーん!

なんか「ほとんど本のまとめになってしまった」というか、体験的にも論理的にも本の納得感が非常に高かったので、思考OSをACTベースに丸々入れ直したみたいな感覚。つまり採用です!

しばらくはACTベースドに生きてみたいなあ。それで人生がどのように変化していくのかを、観察してみようかと。あとは本書に記載の「体をスキャンする」アクティビティは、自分の集中力を引き出すルーティンになりそうと思ったので、日々継続してやっていこうと思う。

このACTのインパクトは自分だけなのか、それとも私以外の方々も同様に影響があるのか、ぜひ感想をシェアしていただければ幸いです。著者も自信満々に言っていたけれど、「個人の幸福」を叶えることに主眼が置かれるようになっている現代だから、今後もっと流行ってくるんじゃないでしょうか。