人は相対性の中で生きている | 宇宙に浮かぶことは出来ないけれど

両手で弾ける曲を片手だけで弾けるか?

最近ピアノを始めて、その話題になると「右手と左手を別々に動かすって難しいよね~!」みたいな話が必ず出る。私も始める前にそう思っていた。なんで右手と左手が別の生き物のように動くのだろう。すっげえピアニスト!と思っていた。

ところが実際にピアノを始めて2ヶ月ほど経ち、左手で副旋律、右手で主旋律と右左で別々に動かすようになった時にあることに気がつく。

あれ、右手だけで弾けない?

なんと、両手で弾ける曲が分解した右手、左手だけで弾けないのである。曲を右手・左手とに分解し、それを足し合わせて1つの曲になっている。だから「片手の方が両手より簡単だろう」というのが普通の頭なのであるが、どうやら練習をしている自分の感覚はそうではないらしい。

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言葉を超える | 音楽とPolyglot

今年6月くらいから趣味でピアノを始めました。小学生の時に家の近くにピアノ教室あったのですが、なんか恥ずかしくて親に「行きたい!」と言えないまま、ズルズルと24歳になってました。

ところがそんなある日、お気に入りのピアノYoutuberが出来まして。「みなまで言うな。のび太くん」とドラえもんに小学生の時に口酸っぱく言われましたので、とりあえず観てくれということでEmbedしときますね。

もう軽く100回以上聴いてる

いやかっこよすぎかよ。こんなん駅で弾かれてたらそりゃ足止まりますわ。個人的には「雨だれ」→ 「Op.64 – 2」に繋がっていく所が大好きで仕方ないっす。ショパンのボサノバアレンジとかおしゃれ過ぎるやろ。。。

ちなみにピアノYoutuberには有名な方がいくらかいらっしゃるのですが、こちらのござ氏の強みは、①適度で心地よい装飾感、②緻密な音楽理論・ロジックに基づいたアレンジ、③アレンジジャンルの幅広さ(ジャズ、ボサノバ、演歌なんでもござれ)です。一番聞きやすいです。

井の中の蛙、バーを知る

丸ノ内サディスティック好きにはタマラナイ

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「生きづらさ」を分解してみる

理解によって恐怖を克服する

「理解できないもの」というのは非常に心地悪いもので。アルゴリズムに含まれる要素は別に完全に理解しきれていなくても良いんだけど、ひとまず自分で結果がコントロールできるようになると安心する。

私を含む世の中の95%くらいの人はPCの仕組みを理解していないんだろうけど、結局こういう使い方をすれば、検索が出来て、ブログが書けて、人と繋がれて、特にトラブルに巻き込まれることも無い、ということは理解できており、そんな訳でPCの仕組みを理解していないからといってPCを怖がる人はいない。

ホラー映画とかも結局「なんでモンスターが襲ってくるのか?」とか「なんでモンスターが発生するのか?」とかが分からんくても、モンスターの苦手なものが分かったり、発生のメカニズムが分かったりするとモンスターに対する怖さは半減する。根源的に「何者」であるのか、を理解していないにも関わらず。おそらくは「自分に対する害をコントロールできる」ための理解がおそらく人が最も重視しているポイントなのだと思う。

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今日も私は論理と戯れ、哲学者はオカルトする

ここ1ヶ月ほどは割といい感覚で生きていたように思う。人はそれを充実と呼ぶのかもしれないし、もしくは追い込まれてると呼ぶのかもしれない。まあいずれにせよ、そんな状況のこの1ヶ月の中で「ブログを書く」という行為は、私の頭のTodoリストの中では相対的に下の方へ追いやられていたということだ。

真空があればそこに空気が流れていくように、凹みがあればそこに雨水が貯まるように、何も考えずに散歩をしていると面白いアイデアが思い浮かぶように。忙殺の最中よりも、きっとそんな時にこそブログを書きたくなる。

つまり、今晩に筆を取りたくなった私は少し気持ちに余裕が出来たということなのだろう。さあさあ、ここ1-2ヶ月の間に頭の中で寝かしておいたことを引っ張り出すとしよう。

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沈黙は金か?

SNSやメディアでは、世のニュースを議論や批判の種に色んなコメントで賑わう。建設的で共感を集めるコメントには、多くの「いいね」やら「シェア」が集まる。一方で、とにかくディスる、みたいな、単にその種をきっかけにして、自身の感情を吐き出しているだけのようなコメントも集まる。

そんな中で「世の出来事には沈黙するしか無いのではないか」と思っているのが最近である。

この辺り、色んな考え方があるのではないか。

  • 沈黙は存在しないも同然だから「批判」の方がまだマシ
  • 知らない所で人を傷つけるくらいならば黙っているほうが良い
  • 当事者以外の意見など不毛で、意見よりDoer(実行者)になれ

・・・等

SNSとの付き合い方、社会との関わり方という点で色んな議論があり、また自分の中での折り合いもある。

それらを踏まえて、自分が世の出来事に対して、どんなスタンスを取っていくのかというのは、人生の中では社会・他者との関わり合いこそがポイントであると思い至った身としては、考えなければいけない点であるように思われる。

ということで以下、なんで沈黙したくなってしまうのか、沈黙してて良いのか、について考えたことに関する雑感である。

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勢いは買ってでもつけろ

最近思ったことの雑感です。ネタが出来ると平気で1万字の記事とか書いてしまいますが、ブログってこれぐらいのテンションで書いても良いんだよなあ、なんてことを思いまして。

力が今必要無くても、必要な時に力が無いことに絶望しないために

今すぐ何か目標や野望が無い時に、頑張ったほうが良いと思いつつも、実際のところ頑張り続けることは難しいと思うのだが、一つ自分を駆動するのに上手く働く考え方がある。

「力」というのは必ずしも、自分の見えている未来で使うことになるとは限らない。世の中には偶然があり、予想も出来ない出来事が発生する。その予想外によって急に「力を持っていなければいけない」という状況になったりする。

例えば、仲の良い友人が事業を始めると言い出した。ぜひとも自分も一緒になってやりたいと思うのだが、案の定自分には十分な力がなく、せっかくのチャンスをものにすることが出来ず、自分の無力さ・努力を怠ったことを呪う。

例えば、自分に力があれば守りたい人を守れるのに、今の自分にその力は無く、自分の守りたい人を守れない。その無力さに打ちひしがれる。

全くもって計画通りに事が進まない人生において、自分が見えている未来だけで現在を確定すると辛い結果になりえる。そんなことを思うと「いつ必要になるか分からないけど頑張ろう」と思えてこないだろうか。

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人を襲う「物語の病」と『中二病でも恋がしたい』の叫び

私は“STORY EATER”だ。この世にある物語を味わうことが好きで、もはや「味わう」というよりも「貪っている」と言う方が適切かもしれない。それくらいに物語を愛し、物語が持つ力に惹かれ、多くの力をもらっている。

そして、物語の上に生きたいと願い、今この瞬間を大きな物語の中に位置づけようと努力をし、また自分も物語を生産する”語り部”になりたいとさえ思うようになっている。しかし、物語の上で生きようとすることは正しいのだろうか。

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シン・シソウ | 虚無感と無意味さを超えて

高校~大学~社会人と進むにつれ、色んな経験やインプットから新たな知識・考え方を吸収し、自分自身の考え方も変わってきた。一方で考えれば考えるほどにアウト領域でのドツボにハマり、答えの出ない問い、深く考えてもあまり意味が無い問いであっても考えてしまうような状態もあった。

その結果、虚無感や無意味感、答えが出ないこと対するモヤモヤを感じ続けてきた。しかし、最近になって良い形で、分かっていながらも長年自分で自分の首を絞め続けてきたアウト癖を乗り越え、自分の中での思想を次のステップに進められたような感覚を得た。

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『恋はデジャ・ブ』が示す思想

※以下、映画『恋はデジャ・ブ』のネタバレを含みますので、未視聴の方はご注意ください。

先日観たビル・マーレイ主演の映画『恋はデジャ・ブ』が非常に良かった。物語のジャンルとしては、今どきの映画・アニメでは珍しくない、いわゆる「ループもの」である。

有名な所では『オール・ユー・ニード・イズ・キル』や『ミッション:8ミニッツ』『STEINS;GATE』『リゼロ』『まどかマギカ』などだろうか。

最近のループものは構造として、悲劇的な未来を避けるために主人公が頑張る、という大筋のストーリーが主で、好きな人や大切な仲間を助けることが主人公の動機になっている場合が多い。(シュタゲでは牧瀬紅莉栖、まゆしぃ、リゼロだとエミリアたん … etc)

ループの条件が「死ぬこと」の場合も多く「死んでもあいつを守る!」というピュアな動機に突き動かされる主人公に共感しやすく、素直に応援したくなる物語の構造なのだと思う。

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「論理さん」との上手なお付き合い入門

近頃本を読んでいると、現実世界と自己・意識の関係について書いているモノが多いと感じる。私が無意識的にそういった本をチョイスしている、またはそういう風に読み取ってしまう・読み取りたいバイアスが掛かっている部分はある。

自己と世界を考える上で論理が欠かせない。人間はこの世界を論理によって紐解き、理論として体系化する。そして生み出した理論に基づいて、この世界に上手く干渉しようとしてきた。事実それによってこの世界は大きく変わっている。

だから、人間の理解の通りに世界が動いている、なんて思いがちなのだが、でも本当にそうであるかというのはすごく怪しいなあというのが最近思うところである。今回はそんなことを書いています。

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