勢いは買ってでもつけろ

最近思ったことの雑感です。ネタが出来ると平気で1万字の記事とか書いてしまいますが、ブログってこれぐらいのテンションで書いても良いんだよなあ、なんてことを思いまして。

力が今必要無くても、必要な時に力が無いことに絶望しないために

今すぐ何か目標や野望が無い時に、頑張ったほうが良いと思いつつも、実際のところ頑張り続けることは難しいと思うのだが、一つ自分を駆動するのに上手く働く考え方がある。

「力」というのは必ずしも、自分の見えている未来で使うことになるとは限らない。世の中には偶然があり、予想も出来ない出来事が発生する。その予想外によって急に「力を持っていなければいけない」という状況になったりする。

例えば、仲の良い友人が事業を始めると言い出した。ぜひとも自分も一緒になってやりたいと思うのだが、案の定自分には十分な力がなく、せっかくのチャンスをものにすることが出来ず、自分の無力さ・努力を怠ったことを呪う。

例えば、自分に力があれば守りたい人を守れるのに、今の自分にその力は無く、自分の守りたい人を守れない。その無力さに打ちひしがれる。

全くもって計画通りに事が進まない人生において、自分が見えている未来だけで現在を確定すると辛い結果になりえる。そんなことを思うと「いつ必要になるか分からないけど頑張ろう」と思えてこないだろうか。

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人を襲う「物語の病」と『中二病でも恋がしたい』の叫び

私は“STORY EATER”だ。この世にある物語を味わうことが好きで、もはや「味わう」というよりも「貪っている」と言う方が適切かもしれない。それくらいに物語を愛し、物語が持つ力に惹かれ、多くの力をもらっている。

そして、物語の上に生きたいと願い、今この瞬間を大きな物語の中に位置づけようと努力をし、また自分も物語を生産する”語り部”になりたいとさえ思うようになっている。しかし、物語の上で生きようとすることは正しいのだろうか。

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シン・シソウ | 虚無感と無意味さを超えて

高校~大学~社会人と進むにつれ、色んな経験やインプットから新たな知識・考え方を吸収し、自分自身の考え方も変わってきた。一方で考えれば考えるほどにアウト領域でのドツボにハマり、答えの出ない問い、深く考えてもあまり意味が無い問いであっても考えてしまうような状態もあった。

その結果、虚無感や無意味感、答えが出ないこと対するモヤモヤを感じ続けてきた。しかし、最近になって良い形で、分かっていながらも長年自分で自分の首を絞め続けてきたアウト癖を乗り越え、自分の中での思想を次のステップに進められたような感覚を得た。

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『恋はデジャ・ブ』が示す思想

※以下、映画『恋はデジャ・ブ』のネタバレを含みますので、未視聴の方はご注意ください。

先日観たビル・マーレイ主演の映画『恋はデジャ・ブ』が非常に良かった。物語のジャンルとしては、今どきの映画・アニメでは珍しくない、いわゆる「ループもの」である。

有名な所では『オール・ユー・ニード・イズ・キル』や『ミッション:8ミニッツ』『STEINS;GATE』『リゼロ』『まどかマギカ』などだろうか。

最近のループものは構造として、悲劇的な未来を避けるために主人公が頑張る、という大筋のストーリーが主で、好きな人や大切な仲間を助けることが主人公の動機になっている場合が多い。(シュタゲでは牧瀬紅莉栖、まゆしぃ、リゼロだとエミリアたん … etc)

ループの条件が「死ぬこと」の場合も多く「死んでもあいつを守る!」というピュアな動機に突き動かされる主人公に共感しやすく、素直に応援したくなる物語の構造なのだと思う。

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「論理さん」との上手なお付き合い入門

近頃本を読んでいると、現実世界と自己・意識の関係について書いているモノが多いと感じる。私が無意識的にそういった本をチョイスしている、またはそういう風に読み取ってしまう・読み取りたいバイアスが掛かっている部分はある。

自己と世界を考える上で論理が欠かせない。人間はこの世界を論理によって紐解き、理論として体系化する。そして生み出した理論に基づいて、この世界に上手く干渉しようとしてきた。事実それによってこの世界は大きく変わっている。

だから、人間の理解の通りに世界が動いている、なんて思いがちなのだが、でも本当にそうであるかというのはすごく怪しいなあというのが最近思うところである。今回はそんなことを書いています。

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社会人に適した効率的な学習方法 概論

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「学ぶこと」は「生きること」

と言っても過言では無いのではだろうか。人間はこの世に生を受けてから、常に(意識的にも、無意識的にも)何かを学び続けている。

「学ぶこと」に対する欲求は、三大欲求にも並ぶ、人間の根源的な欲求であるようにも思う。

現在我々が書を読んで得られる知識には、人類が長い歴史の中で探求、獲得、体系化してきた過去があり、それが人類として積み上がってきている。

それを中学・高校時代なんかは、数学の公式が初めから分かりきっている当然のことのように思い、実はその裏には、その公式を証明するために人生をかけてきた数多の数学者がいることを、全くもって理解していなかった。ごめんなさい、本当に。

人類にとっては、何かを学び、その学びを結晶化してアウトプットすることは、自分の死後も人類という種の生存確率を高めるための一つの営み、とも考えられる。そういった訳で、知的好奇心は人類にとって切り離せないものになっているのではないか。学ぶことに対する関心が高い人は多いはずだ。

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主人公とNPCの二足の草鞋 | 信じられる対象の必要性

コロナウイルスの影響により今週一週間は外に出ず、ほとんど家の中にいたのであるが、その中で感じていたのは「生きているとは一体どういうことなのだろう」ということだった。ああ、なんと唐突な。恥ずかしい。

何を今更そんな青い問いを、と自分でもツッコまずにはいられないのであるが、自宅守護によって生じている他者との直接的なコミュニケーションの欠如(やっぱり電話と対面は違いますね)と、日々扱われるコンテンツは違えど同じ型が繰り返された一週間は、先の様な青い問いを想起させるのに充分であった。

今日より明日が良くなるという「希望」

ヴィクトール・フランクル『夜と霧』において描き出された極限状態における人間の行動は、人間が生存のために本当に必要なエッセンスを提示する。強制収容所の絶望的な状況を生存した人と、そこで力尽きた人との大きな違いは「明日に生きる希望を持てたか」ということであった。

「今日より明日が良くなる」ということを感じることが出来る人間にとっては、今日を生き延び明日に向かうことに意味がある。しかし、その希望とは何から生じるのであるか。何を根拠に明日は今日より良くなると確信できるのであろうか。

その一つは「夢」「野心」の存在であると思う。自分自身が思い描く夢の実現に対して、毎日少しずつでも近づいていることの実感を得ることができていれば、また明日も生きていこうと思うことが出来る。

ここでは、その夢の実現可能性は全く問題ではない。重要なのは「自分が信じられる夢を描けるかどうか」ということであり、それが全くの虚構でもデタラメでも信じられれば何でもよろしい。夢が存在していること自体が生きる希望となる。

パウロ・コエーリョ『アルケミスト』に登場する「いつかメッカに巡礼すること」を夢見ている、とあるムスリムにとっては、メッカへの巡礼こそが生きる希望であり、本当にメッカに巡礼することは彼にとって生きる希望を失うことに他ならない。だから、彼は今年も巡礼しないし、10年後もきっと巡礼しない。「希望」を持てることに合理性も根拠なども必要なく、それを本気で叶えようとしているかということさえも関係なく、信じることが出来るか、ということに尽きる。

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既に完成された幸福と不純物 | ぬるっとした幸福論

一年間で最も散歩に適した季節の到来。今日の最高気温は20℃であることを知り、上着を持たずに出かけてみようと、私の心は冒険気分になる。都内の海の見える公園で約束までの時間を潰していると、30代前半くらいのお父さんが、まだまだ背丈の小さい子供とサッカーをしている姿が目に入る。

ボールを上から足でおさえるんじゃなくて、足の内側でボールを軽く止めてあげるんだよ

と、お父さんは説明する。ボールのトラップの仕方を教えているようだ。世のお父さんはみんなサッカーが出来なくてはいけないな、と思うくらいにはサッカーは子供にとって人気なスポーツだ。

その脇では、ベンチに腰掛けた女性がそんな二人の姿を眺めている。きっとこの3人は家族なのだなと私は思う。両親が自分たちの子供を見るその目には、愛と優しさ、そして子供の輝かしい未来に対する期待が映っている。 続きを読む →

「お前の人生はつまらない」による時間差攻撃とその対応について

社会人になって、漫画を大人買いする「癖」がついている。大半はブックオフで1冊100円になった、過去の流行り物(これは矛盾している)を読む。スタートからゴールまで一直線でノンストップで読み切れるのが心地よい。

それからは、現在も連載継続中の新しい漫画も読むようになった。今どきの漫画はテーマも多様で、どの作品も絵が上手い。最近の漫画はすこぶる面白い。

それで昨日。しばらくは買っていなかったのだが、ここのところ集中している日々が続き、それが落ち着いたのもあってか、昨日は無性に漫画が読みたくなった。

Amazonの欲しい物リストに読みたいと思った漫画はアドしている。過去作となれば、Primeで安く全巻セットなどが買えるのであるが、新作は定価なのでPrimeで買うメリットも特になく、その場で読めるKindleで買ってしまうことが多い。

色々迷った挙げ句、昨日は以下の作品を選んだ。

『ブルーピリオド』は、勉強ができる優等生である高校生の主人公が、藝大入試に挑戦するスポ(芸術)根漫画だ。今どきの20代(つまり自分みたいな人)には刺さるんじゃないか。

  • 天才ではない
  • やりたいことも分からない
  • 人の期待に応えるのは得意で八方美人
  • 社会的にはある程度のポジションを築いておきたい

みたいな、積極的なんだが消極的なんだかよく分からない理由ながら「自分は割とやれている方だと思うんだが」な人生を歩んできた人にとっては、主人公の感情・思考に上手く入り込めると思う。

『ブルーピリオド』を読んで感じたのは、その人が創り出すアウトプットには、その人の人生そのものが投影されるということ。逆に言えば、自分の人生にインプットされていない、つまり無いものはアウトプットにならない、ということでもある。

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ACTとは何か | 思考のパラダイムシフト

ACTとの出会い

年末に仲の良い友人から「これでも読んでみ」と一冊の本を勧められた。

幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない

どうやらACT(Acceptance and Commitment Therapy)と呼ばれる、心理療法の本であるらしい。逆説的なタイトルが煽りっぽくて、ちょっと嫌な感じがする。

その友人は強迫的なまでのインプットを学生時代から行っており、たまに「よく分からない本」というか「怪しい本」とかも読んでたりするので、話半分程度に聞いていた。

しかし、Rotten Tomatoばりに辛口レビュワーである友人が「めっちゃ良い」と勧めていたのは珍しく、印象には残っていた。

心理的な領域の本というのは、「怪しい」又は「そんな当たり前のことを」くらいな感じが多いイメージなのだが、今回はどうやら割とちゃんとした研究に基づいた本ということで、読んでみることにした。

そして先日読み終えての感想は「ナニコレ面白い!!!!」だった。さあ、何が面白かったのか書いてみるとしよう。

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