ACTとは何か | 思考のパラダイムシフト

ACTとの出会い

年末に仲の良い友人から「これでも読んでみ」と一冊の本を勧められた。

幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない

どうやらACT(Acceptance and Commitment Therapy)と呼ばれる、心理療法の本であるらしい。逆説的なタイトルが煽りっぽくて、ちょっと嫌な感じがする。

その友人は強迫的なまでのインプットを学生時代から行っており、たまに「よく分からない本」というか「怪しい本」とかも読んでたりするので、話半分程度に聞いていた。

しかし、Rotten Tomatoばりに辛口レビュワーである友人が「めっちゃ良い」と勧めていたのは珍しく、印象には残っていた。

心理的な領域の本というのは、「怪しい」又は「そんな当たり前のことを」くらいな感じが多いイメージなのだが、今回はどうやら割とちゃんとした研究に基づいた本ということで、読んでみることにした。

そして先日読み終えての感想は「ナニコレ面白い!!!!」だった。さあ、何が面白かったのか書いてみるとしよう。

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自己否定と今日も戦い続ける我々の終戦はきっと近い

「自己否定」とは、読んで字の如く、自分で自分のことを認められずに否定をすることです。すみません、タイトルは言いたいだけです。

私も反芻思考タイプで自己否定の傾向が強く、こういうのって割と自分だけなのかもしれないと思っていましたが、世の中同様の人が少なからずいることも分かり、皆様それぞれに自分との付き合いに苦労されている、ということを知るようになりました。

「自己否定」と如何に付き合うか?というのは、個人の幸福に関わる大きな論点であり、正しい付き合い方を模索する必要があると考えています。

「自己否定 解消」でググると、トップに以下のような記事が出てきます。

  • 自己否定は今すぐやめなさい!自分が嫌いな人がやるべき7の改善法
  • 【自己否定の克服法】自己否定感が強い人のためのカウンセリングとは?
  • 自己否定がやめられない人、4つの特徴
  • 自己否定がやめられない人の5つの特徴と克服方法を紹介

記事の中に、自己否定の克服方法に「集団コミュニティに積極的に参加する」「他人と自分を比べないようにする」とかありましたが「うーん、それで根本解決しますかねえ・・・」「比べたくなくても比べてしまうから困っているのでは。。。」っていうモヤモヤ感が否めない。

こういうハウツーは、それはそれとして価値があると思っているのですが、結論に走り過ぎと言うか、文脈抜け落ちすぎて誤る可能性があるというか、なんかもっと「なぜ自己否定をしてしまうのか」に関して、各個人の文脈に落とすことと、構造化して自己否定と付き合う方法の大方針レベルを知る必要がありそうだなと。

「そういう時はまず分解しろ」とジェイク・ギレンホールが教えてくれた。彼の意思を継ぎ、ひとまず自己否定を分解しましょう。 続きを読む →

HSP | 自分を説明する概念を如何に用いるべきか

HSP(Highly Sensitive Person)に関して、色々な方にお話を伺わせていただいていたのも、もう1年ほど前になります。

以降2019年を経て、HSPに関してメディアで様々に取り上げられるようになったと感じます。AbemaTVで特集が組まれたり、本の出版が盛んになったり。

HSPに関わる方40名ほどにお会いして色んなお話も聞いて、自分で勉強会も開いてみたりとして、ある程度深く関わったこともあり、このようにして概念やキーワードとは広がっていくのか、というのを感じる所でありました。

ちなみに過去5年間の「HSP」というキーワードにおけるGoogleトレンドが以下。2018年と比べても、2倍くらい検索されるようになっています。(2019年10月に一時的に物凄い上昇してますが、何があったんでしたっけ。。。)

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人生は偶然に左右されるが今日も頑張る意味は大いにある

社会人になってから、人生って思い描いた通りには全然進まない、ということをとても感じるようになった。それは良い意味でも悪い意味でも両方で。

大学生の時に描いていた社会人プランなんて簡単に崩れ去ったし、全然想像もしなかったことを現在もしているし、社会人になってからもブログ書いているなんて思ってもいなかった。

そんなこんなで、自分にとってアンコントローラブルな「偶然」や「突然の機会」「チャンス」によって人生は大きく左右されているということを、とても体感していると思う。 続きを読む →

まだ名前の無い現実をどう捉えるか | 固定観念への服従と反抗

最近は、既存の言葉の定義を疑うようになった。

元々、なるべくその場に適した言葉を選定する努力をする人間であるが、そうなった時に、正しくその状況を描写する言葉が紡ぎ出せない場面がある。その瞬間に思う、「自分は自分たちの持つ言葉に支配されている」と。

意識的に言葉の定義を疑うようになると、いかに普段自分たちが良くも考えずに言葉を用いている、ということが分かる。

にも関わらず、その良くも考えていない言葉をベースに社会が形作られていることを理解し、それが固定観念として自分たちの認識さえも歪ませていることを知る。独り歩きした言葉によって支配されている。

もし、自分が普段何気なく使っている言葉の前提とは異なる現実があった際には、自分はどのように対応することができるだろうか。 続きを読む →

タスクの処理/マネジメント力の向上に奮闘中

仕事に関わる学びや気付きメモです。

大学4年あたりから「あまり学びが深まっていない」というか「過去に学んだはずが定着していないことに気づく」など、ちょっと停滞気味であるので、その壁を突破したいです。

謙虚な人が畏まりすぎて自分のこと苦しめる罠

「自分謙虚えっへん!」という訳ではないのですが、内面控えめタイプの人が、相手に対して必要以上に畏まりすぎると、相手に「なんでも聞いてくれる相手、グイグイいっても大丈夫」と思われることがあり、防戦一方となって中々主導権を掴めずに自分の首を締めてしまう、という罠です。 続きを読む →

結論消費主義時代の到来と天才の解放【後編】

前編を読んでいない方はこちらから。

結論消費主義時代の到来と天才の解放【前編】

前編では、情報収集における「安い」「早い」「美味い」が嗜好されるようになった、結論消費主義の中でどうやって戦っていくか。

「変化よりも早く色んな結論をどんどんと収集していく戦い方」「変化に合わせて考えて適切な結論を導く戦い方」の大きな2つの方向性があると考えました。(二項対立ではなく、もちろん両方高水準で出来るのが良い)

ただ、後者の自分で変化に合わせて考える方が、軽視されがちと考えており、そんな中で「考えることの有用性や面白い使い方を考えていく」のが、この後編です。 続きを読む →

結論消費主義時代の到来と天才の解放【前編】

漢字が多くて中二病っぽいタイトル・・・

中二病って他者に迷惑をかけない限りは、世の中が楽しく見える魔法の眼鏡だなって思って、だいぶ遅れた中二病を楽しんでいます。

俺は狂気のマッドサイエンティスト・・・

否!

「マルホランド・ドライブ」の画像検索結果

わたしのあたまはどうかしている。

自戒:ブログを書く上での注意点

年末年始にたくさん更新をして「面白い」と感想を言ってくださる方もいるのですが、自分でテーマや内容を考える上で気をつけようとしていることを自戒的にここに書いておきます。

新卒コンサル時代に面白くて読んでいた、業界トップクラスの方が過去に書かれていたラフなメルマガ的な記事に大事なことが書いてまして。 続きを読む →

理解される喜びと人間の”関数”

あけましておめでとうございます!あっという間に2020年ですね~!

半年くらい更新が止まっていたこのブログも、年末年始には非常に筆が進んでおります。

前回の2つは、読んでくれた友達に「意味わからないGIFが良い」という感想や「IMDbでいえば8.8」とダークナイト級の評価をもらえたので、書いてよかったなあと思っています。

ブログを書くのって、やっぱり気が乗る、乗らない時があって、乗ってる時はどんどんと手が動いて考えも回るので、こういう時にしっかり書いておこうと思って、今日もコーヒー片手に筆を取ります。

今回もテーマとして「人を理解すること」そして「人に理解されること」を扱っていきたいなと思います。 続きを読む →

社会人としてアイセックのことを振り返る

今回の投稿を書くきっかけとなったのは、年末に出会った2つの文章。

1つは「年収1,400万円は低所得」という日経新聞の記事について書かれ、ちょっとバズっていた以下のブログ記事。

「日本は貧乏」説に「でも日本は住みやすいし楽しいから充分」と反論するのはもうやめないとオレら後進国まっしぐらだぞ

もう1つは、日経新聞の1面コラムである「春秋」に12月22日に掲載された、環境活動家グレタ・トゥンベリ氏についての内容。

春秋

日本ヤバいんじゃないか?

1つ目の記事から思ったのは「日本ヤバいんじゃないか?」ということ。

ぶっちゃけここ何年も「日本ヤバい」なんてのはずっと言われていること。改めて文字に起こしてみると「そうね、ヤバいかもね」くらいの軽さでしか受け止められない気もする。

この手の記事なんてのは、正直ファクトの見せ方で「日本すごい」にも「日本ヤバい」にも、どちらでも見せることは出来る。(メッセージありきで構成を組み立てるので、そこの見せ方が腕の見せ所)だから、そもそもこの手の話は真剣に受け取らないことも多い。

でもこの時、人類の歴史で培われている教訓「本当にヤバいと分かった時にはもう終わっている」を思い出した。そして自分はファクトの見せ方として問題をすり替え、単純に「ヤバいことを明白に示しているファクト(真実)から目を背けているだけ」の愚者なのではないか、ということを認知した。

いつも通りに流すことは出来る。それはいつでも誰でも出来る。しかし同時に、真実を真剣に受け止めて行動することを選択することも出来る。そして、自分にはそれが求められているのではないか? 続きを読む →