沈黙は金か?

SNSやメディアでは、世のニュースを議論や批判の種に色んなコメントで賑わう。建設的で共感を集めるコメントには、多くの「いいね」やら「シェア」が集まる。一方で、とにかくディスる、みたいな、単にその種をきっかけにして、自身の感情を吐き出しているだけのようなコメントも集まる。

そんな中で「世の出来事には沈黙するしか無いのではないか」と思っているのが最近である。

この辺り、色んな考え方があるのではないか。

  • 沈黙は存在しないも同然だから「批判」の方がまだマシ
  • 知らない所で人を傷つけるくらいならば黙っているほうが良い
  • 当事者以外の意見など不毛で、意見よりDoer(実行者)になれ

・・・等

SNSとの付き合い方、社会との関わり方という点で色んな議論があり、また自分の中での折り合いもある。

それらを踏まえて、自分が世の出来事に対して、どんなスタンスを取っていくのかというのは、人生の中では社会・他者との関わり合いこそがポイントであると思い至った身としては、考えなければいけない点であるように思われる。

ということで以下、なんで沈黙したくなってしまうのか、沈黙してて良いのか、について考えたことに関する雑感である。

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勢いは買ってでもつけろ

最近思ったことの雑感です。ネタが出来ると平気で1万字の記事とか書いてしまいますが、ブログってこれぐらいのテンションで書いても良いんだよなあ、なんてことを思いまして。

力が今必要無くても、必要な時に力が無いことに絶望しないために

今すぐ何か目標や野望が無い時に、頑張ったほうが良いと思いつつも、実際のところ頑張り続けることは難しいと思うのだが、一つ自分を駆動するのに上手く働く考え方がある。

「力」というのは必ずしも、自分の見えている未来で使うことになるとは限らない。世の中には偶然があり、予想も出来ない出来事が発生する。その予想外によって急に「力を持っていなければいけない」という状況になったりする。

例えば、仲の良い友人が事業を始めると言い出した。ぜひとも自分も一緒になってやりたいと思うのだが、案の定自分には十分な力がなく、せっかくのチャンスをものにすることが出来ず、自分の無力さ・努力を怠ったことを呪う。

例えば、自分に力があれば守りたい人を守れるのに、今の自分にその力は無く、自分の守りたい人を守れない。その無力さに打ちひしがれる。

全くもって計画通りに事が進まない人生において、自分が見えている未来だけで現在を確定すると辛い結果になりえる。そんなことを思うと「いつ必要になるか分からないけど頑張ろう」と思えてこないだろうか。

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人を襲う「物語の病」と『中二病でも恋がしたい』の叫び

私は“STORY EATER”だ。この世にある物語を味わうことが好きで、もはや「味わう」というよりも「貪っている」と言う方が適切かもしれない。それくらいに物語を愛し、物語が持つ力に惹かれ、多くの力をもらっている。

そして、物語の上に生きたいと願い、今この瞬間を大きな物語の中に位置づけようと努力をし、また自分も物語を生産する”語り部”になりたいとさえ思うようになっている。しかし、物語の上で生きようとすることは正しいのだろうか。

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